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二浪日記164母の子育て①165母②166叔母①167叔母②168叔母③

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164話 母の子育て

イチローにとって本当に一番いいのは 私とかパパるが、今を目一杯楽しんで生活することだと思っている。 年齢的に言って仕事にのめり込むのもいい。 でも仕事じゃなくても全く構わない。 趣味でOK。 趣味なんておこがましいか。遊びで十分だ。   バンド組んじゃって何やら楽しそうに出かけていくとか テニスに明け暮れるとか。 カラオケ極めるとか。 本当に何でもいいから とにかく幸せそうに人生を謳歌することだ。 とことん 自由で我儘で、 できれば派手な方がいい。 若いころにはかけられなかったお金も贅沢に使ってみせるのがいいと思う。 そうやって楽しそうに暮らしていたら 本当はそれだけでいいのだ。 よく親の背中を見て子は育つと言うが それは何も我慢している姿や、まじめに仕事する姿じゃなくてもいい。 楽しそうな大人を見ていたら イチローだって 「俺も早く働いてあんな自由な大人になりてー」 って思うだろう。 それが大切だと思う。 それさえ心の中にあれば あとは本人が何とかする。 私自身、かなり自立心の強い子供に育った。 それは母親の育て方にあったと思う。 だからイチローの依存心が強めなところを見ると 私の育て方のせいだとどうしても思ってしまう・・・。 今からでも遅くはない。 私は、イチローの勉強のことなど気にせずに 思いっきり遊んだらいいのだ。 私の亡くなった母は まさにその 趣味に明け暮れて楽しそうに暮らす人 だった。 母にダイナミックに育てられたおかげで 私は親に全く依存しない、 小さいころから自立心の強い子供に育った。 母親が自由に生き生きとすごしだしたのは 私が大学へ入ってからなどではない。 小学校低学年のころからだ。 昔は幼稚園も子供一人で通っていたし 公園で遊ぶのも子供だけが当たり前だった。 そのあたりを準備期間として、 小学校に上がるともう、身支度も学校の支度も自分でするし、 給食だってあるから お弁当も持たせなくていい。 母にしてみたら、 すっかり手が離れた感があったのだろう。 下の子である私が小学校に慣れたころ 母親は待っていたかのようにいろんなことを始めた。 当時流行の  ママさんバレーから始まって、 卓球 ゴルフ 民謡 踊り・・・ 全部を一時にしていたわけでは無いが いつもなにかしらやっていた。 地域の公民館などを使う、ほとんどお金のかからない サークルのようなものだったと思うが、 それは夜の7時~9時みたいな時間帯に行われていた。 もちろん毎晩やっていたわけでは無い。 多くて週2回くらいか。 時間帯が夜になっていたのは、当時、働く主婦が増えたので そこしか集まれる時間が取れなかったのではないかと思う。 母も昼間はパワフルに仕事をしており、 それが終わってから いそいで食事の支度をして出かけていくのだ。 父親も帰宅していたし、 出かけると言っても本当にすぐ近所だし、 母親が不在でも危険なことなどなかった。 母はでかけるとき、父ではなく、  私より二つ年上の姉にいろいろ言いつけて出かけていた。 「時間になったらご飯をよそって。 食べたら食器は下げて洗っておきなさい。 お風呂も沸いているから二人で入って。 寝るまでには帰ってくるつもりだけど、 母さんが遅くなるようなら 待っていないで9時には寝なさいよ。」 今思えばすごいセリフである。 私小学2年  姉小学4年 くらいのころである。 たまに、大会などがあると日曜日に試合がつづくこともあった。 そういうのを姉と二人で見学に行ったりもした。 地域の大会でそんなに大げさなものではないが 母はよくトロフィーや賞状をもらってきた。 あんまり当たり前のように毎回毎回もらってくるものだから 私は当時 「ちょっと頑張れば誰でももらえるんだろう」 くらいに思っていた。 でも、私は人生においてどんな小さなものであろうとトロフィーなんか一度ももらったことがない。 やっぱりあれはそれなりにすごいことだったんだと今では思う。 母は7人兄弟の長女だった。 母の上に長兄がいたが、後継ぎの長兄は勉強することをすすめられ 女に学問は必要ないと言う時代に育った母は、 小学校のころから農業で忙しい母親に代わって家事育児をしていた。 だから、姉が妹の面倒を見るのは当たり前だったし 小4にもなれば長女が家事をやることなどは普通だったのだ。 私の子どもの頃は家族でもよく出かけた。 お金など全くない家だったが 毎週のように日曜日は家族で 車にのって郊外に出かけていた。 今の季節でいうなら、 紅葉狩り ナシ狩り ぶどう狩り 昇仙峡や長瀞、 富士五湖 秋川や奥多摩でバーベキュー ドライブとバーベキューは本当によく行った。 当時は週休2日などではなく、 仕事の休みは日曜日だけだったが 父も母もよくその気になったものだと思う。 私はイチローを数えるほどしか 郊外へ連れて行っていない。 どこにも行かなかったわけでは無いが、 私の子供のころに比べたら、無きに等しいくらいの少なさだ。 私達姉妹には家事分担があった。 お米を研いでご飯を炊いておくこと。 掃除機をかけておくこと。 これは私の仕事だった。 言っておくけど小2だ。 お茶碗を洗っておくこと。 洗濯物を取り込んで畳んでしまっておくこと。 これは姉の仕事だった。 姉は小4だ。 学年が進むにつれ 仕事は増やされた。 お味噌汁をつくっておくこと。 煮物用の野菜を洗って皮をむいておくこと。 学校で調理実習などが始まると なんでもいいから一品つくっておくこと。 なども増やされた。 私は小学生だったイチローに ごみ捨て くらいのしごとしかさせていなかった。 自分がやらされていた当時は、 何もやらされることのない友達と比べ なんてひどい親なんだ、なんて私はかわいそうなんだ、と思ったり ウチの親は楽してると思ったものだが、 実際親になって子供にやらせる立場になると、 親が自分でやるより子供にやらせる方が よっぽど面倒くさいと身に染みるのだった。

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