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~論破風に吹かれて~

とある自称ムスリムに踊らされた3か月の実録。

画像はお持ち帰り自由、相手も許可済み

自分のレス=13 議論相手のレス=35 結局のところ、 「棄教は死刑」というのはイスラム法の法解釈によってゆれがあり、場合によって違う。現在は主流ではない。 イスラームの体制からみる宗教的事件は「修行者個人の見解が間違っている」ので「各々の国家の法で裁かれるべき」という自己責任を主張しており、イスラム教として宗教的事件の責任は負わないことになっている。 など、たったこれだけの解釈を得るために、今回もまた僕はボロボロですよ。1400年から続いている宗教の理論武装は伊達ではないです。 彼個人の意図としては、僕のいい加減なイスラーム知識を無駄に拡散されることで日本語圏に住むムスリムに迷惑を撒き散らされたくない、さらに言えば僕を「永遠に黙らせたい」という意図があったように思います。それも、「タブー化」という言葉によって破られたのですが。これからも、イスラームについていろいろ言う人には、日本語圏に限らず論客を派遣して各個撃破を試みると思います。 この議論が何かしらの参考になれば、イスラーム世界の理解の足しになるものと思っております。 「神聖月あけには辻に立って異教徒に暴行してもよい。しかしアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。金を払うものは許さないこともない。(クルアーンのジハードの項第9章5節)」 ↑これに対して反論できなかったので食い下がった、と思うことにしております。 無料部分の議論の顛末をキャプチャした画像4つ分は、議論相手の許可も得ている(二枚目の画像冒頭のレスポンス)ので、ご自由にお持ち帰り・拡散してかまいません。ムスリムが望む「イスラムへの理解」が広まるかと思います。

始末記◇イスラム教について

イスラム教は宗教ではなく学問である。科学的証拠をもって論ずる必要があるので、実質的に聖句など「文字を信仰」することになる。 アッラー=神とは言葉であって、日本人的感覚で言う神(守護者)とは意味が違う。 宗教という言葉も、日本では大乗仏教をもとに宗教団体を前提に考えるが、彼等の言う宗教は小乗仏教、つまり行者・修道士に近い。イスラム教は修道士だけで構成されていることになる。修道士とイスラムの宗教施設との関係は不明。全般的に、イスラーム文化と日本文化は前提の段階で違いがある。 修道士の理解の差異を均一・統一するために、中心核となる人物(ムハンマド)から学ぶ。故に、ムハンマドの言行録は唯一絶対の論理である。 イスラーム世界における自称ムスリム、所謂宗教的事件を起こしたムスリムへの対応は、イスラームの理解を巷間に広めることで対応する。が、問題行動を起こしたものに対して対処法は存在しない。責任は本人にあるので、破門もしないしそのままムスリム僭称を放置する。罪は罪として、法によって裁く、とも。 →問題解決ができないことを知ることに意味を感じない。彼等が起こした宗教的事件をイスラームの問題とすら捉えていない。再発防止ができないので、これは問題のある体制としか言いようがない。もしイスラム教がテロリストや重犯罪者レベルの社会不適合者の隠れ蓑になったら、これを止める術がないことになる。 イスラームでは、人々の信仰の自由(アッラーへの信仰であり、他の神への信仰ではない)は保証はあります。それと人々への宗教の強制を禁じています。 神聖月あけには辻に立って異教徒に暴行してもよい。しかしアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。金を払うものは許さないこともない。(クルアーンのジハードの項第9章5節) 聖戦が肯定されているのは根拠がある。話が通じないからだ。話し合いがいつもこの調子だったら、話し合いに意味はない。ムスリムは理解を求めても相手は(集団の責任等)こちらの考えを理解しようともしないうえに無知などの言葉でマウントして相手を罵るのだから、解決など不可能である。そしてこれは、これからもずっと続く。イスラームの戦いは、永遠に続くのだ。 →イスラームの欠陥とは「終わらない戦い」「怨嗟の応酬」「タブー化による言論封殺」である。これらはイスラームにとって問題にはならないが、それ以外の人は迷惑を被ることになる。 関連したことを加えると「相容れない文化・思想信条のコミュニティに入って自分の文化的行動・思想信条を押し通して文化・文物の破壊をすることがある」。ムスリム移民が行う仏像破壊や土葬問題などが該当する。多くの移民問題の根源とも絡むこの事態が「移民・難民は帰れ(死ねとは言っていない)」と言われる基になっている。

始末記◇Walker Jobe氏本人について

自称日本人。ただし、同道を同場と間違えたり、英語のスラングで"He is speak from his ass"と罵るなど、母語は日本語でない可能性もある。また、これは憶測でしかないが、英語を母語とするイスラーム法学者と翻訳の二人が関わっていることも考慮に入れている。そして翻訳のほうが「自分も日本人」と言えば、一応嘘ではない。 彼のYoutubeアカウントがまとめた動画  心意六合拳関連8件…中国の回教徒(ムスリム)の拳法。動画の殆どが英文字幕ないし英語吹替。  シリア関連2件…いずれも英語音声。レジスタンスなどの闘争についての動画。 ネイティブな英語を聞き取れるレベルらしい。日本語の動画は一件もなかった。仏教をシッダールタからの実学ぶ姿勢からしても、日本の仏教にあまりなじみが無いように思われる。日本人と言いながら、あまり日本で暮らしてはいない日本国籍の外国人家庭で、且つ日本人コミュニティとの繋がりがあまりなく、国内の故国のコミュニティで育った可能性もある。 また、イスラーム文化や教義に関するものでなく戦闘技術や闘争に関する動画しかないのをみても、彼の関心の方向性は特徴的と言える。 日韓問題に関する話題を避けており、タブー視、もしくは日韓問題についてはそれなりに知っている可能性がある。 イスラームの専門知識で聞いてきて、答えられなければ「無知」という言葉でマウントを取る。上から物を言うことによって、自ら対等に話せないように障害をつくっている。 自らは無責任な事は言えないということで、専門外のことは語らない。これを盾にして、「ムスリムを理解してほしい」と言う割には仏教徒やキリスト教徒などの異教徒の習慣を理解しようとする姿勢すらない。 →自己主張しかしない(できない)ので、対話は不可能。会話はいつも一方通行である。語る内容はイスラーム理論と法律のみ。 ①イスラム教への勧誘には興味がない。しかし、知りたいならモスクに来い、と実質勧誘とも取れる事を仰る。極右は暴力的ではない、と言って極右の人のいる場所に行くだろうか? ②自分の知らない分野について学ぶ気がないなら、主張するのは無責任、と言ってイスラームをタブー化している。これが、イスラーム式理論武装である。ちなみに、本人もタブー化については否定していない。 →これら二つの物言いは、気易くイスラームを語れないようにし、印象論すら否定しているので、結果としてイスラームのタブー化に繋がっている。モスクに丸投げするような論理を知ろうとする人は相当の研究者といえる。そういう人は日本では少数派だろうと思う。つまり、彼の言動・行動は「すべての日本人はイスラームの専門家になれ」という暴論とも取れる。彼のこの考えは、最後まで曲げない信念であった。イスラム教は高度にタブー化された宗教、という見方もできる。アッラーは狭量にして独善的であられる。 根拠無しの主張、根拠なしの知識ははゴミです。何にも基いていない信仰には迷信が多いのです。物的証拠や歴史的事実を基にした信仰は間違えるはずありませんよね。だから証拠、根拠、論理、知識に基いた信仰なのです、と仰る。そして、自分の無知を知らない人々がとんでもない社会を生み出すのです、とも。 →無自覚な無知なる者には救いはない。知者のみが、イスラーム社会における「選ばれし者」である。また、証拠がまず出ない霊障については、解決策はない。 イスラーム世界の体制的問題を個人の問題にすり替える。日本の問題も個人に責任をすり替える。彼の思考では、責任は個人に拠っており、それ以上のものは一切負わないということになっている。この理論だと、先祖や親族が問題を起こしても「彼がやったこと」と責任を否定できる。問題のある親族を生み出した環境については一切考慮しないので、環境由来の問題については解決策を一切持たない。 →連帯責任論や部下の責任、子供の責任を取れない可能性がある。 また、ムスリムが社会的問題を起こしたときに「彼等は犯罪者だ」「ムスリムだからという括りにしないでほしい」「ついでにイスラームを理解しなさい」というのは、要は『自分さえ助かればいい』という想いが根底にあって、傷ついた被害者や損害については何ら思いやるところがない。相手に寄り添う気持ちが全く無いのだ。傷付いた相手に「イスラームを理解しなさい」というのは、感情を逆撫でる悪意すら感じる。 その宗教の中心核である書物などを勉強する必要があります。 →原理主義。 ブディストについて学ぶより、イスラームやシッダールタの教えを学ぶ方が、その宗教に対する理解が深まると思います。わたしは今後ブディストについての理解より、シッダールタの教えについて引き続き学んでいきたいと思います。 →シッダールタから学ぶ。つまり原理主義。そして、十分に理解していないことは言わない、という彼等の論法があるものの、こういうところでイスラームの原理主義を引き摺っており、何だかんだイスラームの色眼鏡でしか物を見れない状態に陥っている。勿論当人は気付いていない。一見して科学的・論理的・客観的に見えるところが質が悪い。僕もこの議論で「日本ではアッラーも八百万の神のひと柱としか見られません」と神道的色眼鏡で物を語っていますが、僕との議論に限らず、こういう観念のぶつかり合いはこれまでもあったろうし、今後も続くでしょう。これが終わりなき戦いの正体です。イスラームはここから何かを学ばなければ、敵を増やすばかりです。それでも改めないのは、ここにウンマの拡大の秘密が潜んでいるからです。 追い出す門がないのですよ。信仰の自由は保証されていますし。 →イスラム教には棄教という選択肢すらない、とも取れる。「韓国の親日派とはただの日本好きに留まらず、日本の統治時代を肯定しているものと見做される」ような変な括りを作ってしまっている。 ケツから喋るのをやめましょう、と、ケツが好きらしい。 個人の人格否定を挟んでくる段階で、議論は終わっている。話し合いや交渉相手と認めていれば、相手の人格を否定することに意味はないからだ。議論の上での人格否定は、「話し合う気はありませんよ」というサインである。これも、イスラーム式であろうか?まあいいですけど。この流れを見る限り、初めから相手を否定する前提で議論を始めていて、「学びましょう」「モスクを紹介する」というのは形ばかり、議論を装う拒否、タブー化を目論んでいるように見える。 結局、彼は最後まで人格否定をやめられなかった。認められない相手には人格否定で対応する性根が透けて見える。 東京ジャーミ(モスク=イスラームの礼拝所)を勧めてきた。トルコ政府が支援するモスクである。 相手が黙るまで反論しないといけないのも、イスラーム式であろうか? >わたし一人で、世界中の16億を超える、地球人口の四人に一人のムスリムを代表することはできません。 …自分の他に仲間が16億からいるんだぞ!ってか。脅しているみたいで恐ろしいですね。ちなみに、これは僕の主観であって、あなたがどういう意図で話していようが関係がありません。僕が恐ろしと思っているのですから。 また、この発言からは、自身が特殊な思想・立場にあるムスリムである、という自覚があって「代表できない」と言っている可能性もある。Youtubeでフォローしている動画の傾向と併せると、日本に於いてイスラーム原理主義の立場を持つ人であるかもしれない。

walker jobe五大論法

[第一論法] 彼の第一の論法は、相手の主張全体のうち都合の悪い部分を無視する。 直近では「尻すぎた男」の部分を無視している。 >神聖月あけには辻に立って異教徒に暴行してもよい。しかしアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。金を払うものは許さないこともない。(クルアーンのジハードの項第9章5節) これにも反論できなかったので無視。 >イスラームに問題があるというのなら、どこに問題があるのですか?根拠無い主張はゴミ同然です。あるのなら、提示してください。 →イスラームの問題とは「終わらない戦い」「怨嗟の応酬」「タブー化による言論封殺」である。これらはイスラームにとって問題にはならないが、それ以外の人は迷惑を被ることになる。尤も、既に彼等が自らの主張を曲げない事と自分に関係ない事を問題視しない事は分かっているので、彼等には理解できないと思う。 これにも反論できなかったので無視。 [第二論法] 第二の論法は定義のすり替え。 「ジハードはアラビア語で、苦労する、努力する、という意味の単語です」などと、イスラーム法におけるジハードの意味をアラブ語の意味にすり替えている。 また、イスラーム法の解釈については「6大ハディースは全て信憑性が高いものばかりではありません」と自分の意見を述べず、「イスラーム教を信じていると主張するムスリムの人々の言動、それが直にイスラームであるとは限りません。」などと言い「専門分野としてすり替え」、専門家に丸投げ。これは「我々が語るべくもない専門知識」という言論封殺である。それは、「イスラーム法の下には言論の自由は無い」かの如し。言論の自由があるなら、彼はイスラーム法解釈について自分の意見を論述できるはずである。 [第三論法] 第三の論法は実態を無視した物言い。 イスラームテロをする面々は犯行声明をわざわざ出して「イスラーム」を名乗っているのを「自称ムスリムの"人々"」という言葉で切り離す。彼等がムスリムを僭称していることの重大性はイスラム全体に影響力があることを無視し、それら宗教的事件を野放しにする寛容性が結局人的被害や生活を脅かされる人を生み出し、ムスリムを汚し続けている犯罪者であるが何もできない実態を非ムスリムは重大な問題と捉えている。 これはイスラーム法解釈の問題ではなく、被害者の主観の問題、イスラームへの印象の問題なので、ムスリムによる自己解決法がない限り、議論に意味はない。議論をすればするほどイスラームに失望し、不信感が積み重なる。 実際の被害者に無知とか馬鹿とか論破とか言えば被害者の心象が良くなるというなら、いくらでもやってみるがいいさ。 これについてはイスラームに期待できないので、非ムスリムによる「ムスリム全体に対する独自の解決法」が必要かもしれない。 ※この項だけがYoutubeコメントで何度掲載しても表示されなかったもの。 [第四論法] 第四の論法は、コメントの手数で論点を忘れさせる。 彼がまとまったコメントでなく脊椎反射とも思えるような侮蔑と質問という短いコメントを次々に出すことによって、元の論点や論破できなかった理論を先送りにし、都合のいいタイミングで相手を見下す。結果、見た目的には勝利者のように見えるが、同時にコメント欄があっという間に数十まで積まれてゆく。 この手法でコメントの画像保存のときにデータが大きくなるので、意図的にそういう障害をつくっている可能性もある。他の論法と比べると、小技に過ぎない。自分の意見に自信があれば、こんな小賢しいテクニックは必要ないんですけどね。有能風に自己演出するのがそんなに大事ですかね。薄っぺらい人だね。 ちなみに論点は、 「すべての非ムスリムがクルアーンを正しく理解したら、イスラムテロを含む宗教犯罪由来の損害はなくなり、被害者はいなくなるのか?」 「信教の自由で行われたムスリムの宗教犯罪を放置することは、イスラームへの信用に寄与しているだろうか?」 とう点。 [第五論法] 第五の論法は、責任逃れの逃げ道をこしらえる。 最期のコメント 「第三者はどうでもいいよ。俺とお前の会話なんだから。」 というのは、第三者に客観的にみられるとヤバいから個人的な会話に仕立て上げてムスリムの正統な考えとは切り離して「俺の意見」にしている。 彼がこれらのやり取りの中で不正確な事を言っていても「ただの会話だから」などと返せる逃げ道もあり、ここで得られたイスラームやムスリムについての知識は正確性に疑問がある。 彼は「不正確なことを言っても責任を取る気はない」と言っているのと同じなのだ。 [根本思想] 彼がこれらを行う目的はひとえに「議論でマウントを取るため」。故に、英語もできない、アラブ語もできないという本筋とは関係のないところでもマウントを取る。無知という言葉を多用したり、論破という言葉を好むのも「マウントを取りたいから」。建設的な議論ではなく、自己満足から議論に乗り出しているのである。ムスリムを代表する気概があるなら、無知とか馬鹿とか論破とか尻言語とか、そういう悪意的な言葉を使用することはないのである。自覚あるなしに関係なく、彼はムスリム全体を貶めている。彼の使うこれらの侮蔑語は、「根底的思想として他人をバカにしている」から捻出できる言葉である。他人に敬意があれば、こういう言葉は出てこない。 彼は初めから、議論なんてしていなかったのだ。 どうせ、イスラーム法に疎い人が多い日本人ならマウントできるだろ、という安直な考えで挑んだのでしょう。実に浅ましい。他の言語圏で敗退を重ねて逃げてきた論客の可能性すらある。こういう人がムスリムに迷惑をかけているのですが。 正直、ムスリムがどう思われようがもはや関係はありませんが、これは議論というよりゲームとしての論戦(ディベート)をさせられていたのが実態である。 彼の苦労・努力(=アラブ語で言うところのジハード)は、ムスリムの為であるようで、実際は「自己満足のため」にやっている事である。即ち、自己満足のためのジハードである。 しかし彼はイスラームの聖戦士であり、イスラームにとってかけがえのない人材である。イスラームは本当に彼を敵にまわさなくてよかったであろう。彼の偉大さが、アッラーの存在感に信用を超えた勇ましさを日本人に印象付けるのである。彼が推奨するモスク・東京ジャーミにとっても、東京ジャーミを支援しているトルコ政府にとっても、彼の存在、勇ましさは、よくよく知られるべきものがある。

コピペ用宣告文

ムスリムとの議論の始まりを感じたら、 ①ムスリムが「自分たちを理解してほしい」という割にはこちらの話を聞くことはない、自分の理論だけで話すことは、既に知っています。つまり、話し合いなどというものにはならない可能性も考慮しているのです。特に、イスラーム理論と法律の話しかしない人は話が通じないので、そういう不毛な対話にもならないお話は望みません。 ②ムスリムによる宗教的事件は自己責任論で法律によって裁かれるべき、という論説は知っておりますし、イスラム教が宗教団体ではなく修行者の寄り合いであるから、宗教犯罪者を含む個々人の「アッラーを信仰する自由」によって宗教犯罪者に再発防止を行う権限のある者が、イスラム教内部にいない事も知っております。 ③無責任なことを言わず、イスラームについて完全に誤解が無いように学んでから話しましょうといいますが、イスラーム学者になる気はありません。ムハンマドの言行とか聖句とかどうでもいいです。モスクへのお誘いは、あなたの意図に関係なくそういう集まりのなかで宗教勧誘がある可能性を考慮してもハードルが高すぎますし、これらのことが結局イスラームについて気軽に話せなくなり、実態としてタブー化と言ってよく、イスラームによる許し難い言論封殺です。そういうのやめてください。 ④また、イスラームの知識等で間違った見解をしていたときに、無知という言葉でマウント取って煽る人は、すべからく「上からものを言うことしかできない、かわいそうな人」と思うことにします。そういう人は基本的に受け入れません。 ⑤また、罵詈雑言や悪口、人格否定などをする人は受け入れません。話し合いや交渉相手と認めていれば、相手の人格を否定することに意味は無いのです。 ⑥ムスリムが16億人いるとか言い出したら、数の圧力でプレッシャーを感じ、恐怖してしまうことがあります。その時は、あなたの意図に関係なく主観によって「脅し」と認識します。 ⑦もし議論をするような事態になったら、全画面をキャプチャして拡散するかもしれません。 ⑧この議論が終わったら、ポークカレーかチャーシュー麵でも食べようかと思っております。 以上を踏まえたうえで、「対等な話し合い」をしたいと思っております。このまま議論を始めた場合、上掲の内容を完全に誤解なく把握し、順守することに完全に責任を取る、もちろん掲載された範囲の制裁、および刑法に抵触するものについては社会制裁も受け入れる、と見做します。 ↑とコピペしてみましょう。 Walker Jobe氏は、僕に関わってくることで僕にイスラームに対する執念を植え付けてしまったのである。まさに藪蛇。

イスラーム法のもとにおける異教徒の扱いについて

ズィンミー(アラビア語: ذمّي‎、Dhimmī)とは、イスラーム政権下における庇護民のこと。具体的には、ムスリム支配者の統治下に一定の保護を与えられたキリスト教徒やユダヤ教徒をはじめとする非ムスリムを指す。 ズィンミーは辱められ、さげすまれ、見下されなければならない。それゆえ、イスラム教徒はズィンマの民(ズィンミー)を賞賛してはならず、また彼らをムスリムよりも高いものと持ち上げてはならない。彼ら(ズィンミー)が惨めで、卑しく、屈辱的であるのだから。(クルアーン第9章29節、イブンカスィールの解釈) ジズヤ(みかじめ)の徴収に当たってのズィンミーのとるべき姿勢– イブン・アッバースによれば、手で歩く(四つん這い)ことによりいやいや身を低める。(タバリー)

…日本がイスラーム政権になると、国民の意見に関係なくイスラーム法に則って非ムスリム=ズィンミーはこのような目に遭う可能性がある。 引用: 民主主義は信教や言論の自由を担保しますが、イスラム教はそうではありません。 民主主義とはそもそも民衆が主権を持つという思想・政体ですが、クルアーン第67章1節で明示されているように、イスラム教では神が主権を持つとされています。民衆たるイスラム教徒には新たな法を作ったり法を変更したりする 権利は認められず、絶対者たる神の定めた法(イスラム法)にただ従うことが義務付けられています。 {イスラム教の論理 イスラム思想研究所 飯山陽 一部抜粋} 僕に言わせれば、それは願わしくない。もし僕がイスラームに怨念を抱くような死に方をしたら、その時は御霊となり、皇国のムスリムと偽装棄教者のすべてを祟る柱となるだろう。僕が御霊にならないように、皇国主権ならびにその青人草を僅かも脅かざりしか、福にして碌にして壽たる功徳で我が身を滅さぬ体に為す(不死者になる事で御霊になるのを止める、事実上不可能)か、いずれかを選ぶべし。 そうなる前に、出来得る限り彼等の理論に対応できるようになりたい。ここに記した内容は僕の経験の範疇に留まり、これで全て対応できるとは思っておりませんが、少なくとも僕が経験したようなことを繰り返す手間は省けると思います。相手の手の内が変化したらそれに随時対応し、この国を狭量にして独善的な神から守っていきたい、これが、僕の思った事です。

有料記事には、スレ元のリンク(youtube)を添付してあります。

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