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刻のエンピツと木の精ポチカ13

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刻のエンピツと木の精ポチカ13

 ポチカも楽しそうにうなずいた。山田はにこにこしてポチカと両手を取り合って、上下に振った。お菓子の袋ががさがさと鳴る。 「もうあっちに、――どこだっけ、帰っちゃったかと思ったんだよ。いま何してるの、どこにいるの?」 「まだいるよ。まことくんと遊んだりしてた。キャンプ行ったよ」  渓流釣りのことやキャンプファイヤーのことをポチカが話すのを、山田は興味津々で聴いていた。ちょうど校舎の陰になって陽射しが遮られて、肌が涼しく感じる。セミの声ばかりが聞こえて、キャンプ場の空気とは全然違うけれど、ポチカと山田が話す声もなんだか心地よかった。  日陰なら手で目を覆わなくても空を見上げられる。雲が全然なくて、濃い青空だ。太陽のある方向はその青さが白っぽく、強く光っている。たくさん並んだ一人用のプランターに植えられたアサガオが、緑色の支え棒に沿って伸びて、花を開いたままのものやしぼんだものがある。日なたにずっと出しておくと暑すぎて萎れるから、昼休みとかに場所を移すのかもしれない。  この場所からだとグラウンドの一部だけが見える。今日は遊んでいる生徒が少ないようだ。すごく天気もいいし、珍しく独り占めできそうだとも思うけれど、暑いのはキツイしミユ先生も待っているだろう。ポチカを連れていくのが楽しみでもある。真琴は気を取り直して、 「じゃ、行こうー。図工室ー」  二人に掛けた声が、何となくミユ先生の真似をしているみたいだった。山田とポチカは話に盛り上がっていて、真琴の背中をゆっくり付いてくる。山田が「これ、豆おいしいね!」というのが聞こえたので見ると、もうお菓子の袋を開けて歩きながら食べていた。  校舎のなかは、外に目が慣れていたせいか暗く感じた。図工室のあたりはもともと陽が入りにくくて、床の様子も普通の教室より落ち着いた色の板張りだし、ところどころ傷ついたいかつい木製のテーブルと椅子が置いてある。その壁際に誰か知らない人の胸像とか、肖像画とかが飾ってあるから、ひとりだとちょっと怖いこともある空間だった。  今日は図工室の扉が開け放ってある。声は漏れてきていないから、参加する生徒もあまりいないのかもしれない。真琴は着く直前に山田から醤油おせんべいをもらって、ばりぼり食べて飲み込んだ。 「真琴君、山田さん、来たねー。ポチカさんもようこそ、いらっしゃい」  急にミユ先生が前のほうの入り口から出てきた。普段目にしないくらいにこにこしている。真琴はおせんべいが喉の奥に残っていて、すぐに返事ができなかった。 「こんにちは」  ポチカがぺこりと頭を下げると、近づいてきたミユ先生も「こんにちは」と小さい子に対していうような口調で、ゆっくりとお辞儀をした。ミユ先生はほんの少しポチカの顔や服装を見つめてから、 「いつもより来てくれたみんなが多いよ。入って入って、――真琴君達を待ってたんだから」  なかを覗いてみると、何人かの生徒が机で向かい合ってプリントをやっていた。ミユ先生は真琴達に後ろの入り口から入るよう促して、自分はまた前の教壇側の扉へ向かった。 「山田、これ来たことある?」  真琴はひそひそ声で訊いた。図工室が静かな雰囲気だからか、山田は真琴に顔を近づけて声を低くして、 「ない。――何するやつなの」 「お勉強するんだよね」  ポチカも楽しそうにくっついてきて、秘密の話をするような表情をしていった。お菓子の袋を手に持ったままだったので、ランドセルに入れようと真琴が手を出すと、ポチカはうなずいて自分の鞄にしまった。  三人で一度目を合わせると、真琴を先頭に図工室のなかへ入った。窓が開けてあるけれど、もともと風が通りにくいせいか、絵の具や木材やほこりが混ざったような匂いがする。入ってくる明かりでは足りなくて電気がつけられている。放課後に室内でクラブ活動をするのって、こういうものなのだろうか。  真琴達の足音に気付いて、プリントをやっていた女子が顔を上げた。  「まこちんじゃん! 来たの? 珍しくない? ――ヤマダンもいるじゃん」  学級委員のリンちゃんだ。髪の感じや雰囲気で、入って見た瞬間からそんな気がしていた。リンちゃんはポチカにも目をやりながら手招きして、すぐ隣の机を指さす。リンちゃんのいる机には他に三人の生徒がいて、リンちゃんの声でこちらを見上げた。  一人は同じクラスの田中道彦といって、勉強家の村上くんと仲良しだったはずだ。「道彦」が古風だから、時々戦国武将がどうだとかいじられている。もう一人も同じクラスの女子で、確か「蓮(れん)ちゃん」と呼ばれている。あまり話したことがないけれど、リンちゃんと一緒にいるのを見かけることがある。あと一人は別のクラスの子だ。 「うん、じゃあそこ座って。真琴君と山田さんなら、このプリントがいいかな。……ちょっとやってみて、で、分かんないところがあったら教えて。――ポチカさんはどうしようかな?」  ミユ先生が真琴と山田に算数のプリントをくれた。かけ算とか少数とかの問題だ。図工室の机に他の教科のプリントを置くと、違和感がある。椅子も背もたれがなくて、自分の重心の位置によって前後にカクカクと動く。山田が真琴に向かい合うように、ポチカは真琴の横に腰かけた。ミユ先生はファイルのなかをぺらぺらとめくって、ポチカにも一枚プリントを渡した。   リンちゃん達の机を挟んで奥側にも四人生徒がいて、それでクラブに来たメンバーは全員らしかった。みんな静かにプリントの問題を解いている。黒板にはちょっと先の時刻が書いてある。その時間までにやり終えるということかもしれない。  ミユ先生が真琴の視線に気付いて、 「時間、気にしなくていいよー、目安ね目安。また先生も来てくれるから。難しかったら、どう難しいか考えておいて」  真琴は山田と顔を見合わせて、ちょっと首をかしげて、筆箱をランドセルから取り出した。ポチカも自分用のシャープペンや消しゴムを持ってきていて、よく見ると昔買ってもらった真琴の筆記具だった。  鉛筆が机に当たる音と、消しゴムでプリントがよれたり、机がきしんだりする音が続いた。授業の時間よりも真剣に勉強している子が多い。真琴もつられて集中できている気がする。風が入ってくるとふと我に返って、深呼吸がしたくなる。たまに外で遊ぶ生徒の声や車の音が聞こえる。でも、図工室は不思議とセミの声があまり届かなかった。  時計を見ようと目を上げたら、ミユ先生がいつの間にかいなくなっていた。先生がいないのに自分達だけで勉強しているのが、真琴にとっては新鮮だ。扉の外に見える廊下がずいぶんと空いているように感じる。ポチカを振り返ると、プリントにあごを当てるような格好で手を動かしていた。 「ポチカ、目が悪くなるよ」 「大丈夫」  真琴がいうと、ポチカはにっこりした。問題を解くのが面白いようで、すぐ計算に戻る。真琴達と同じ単元の内容だけれど、少し難しいのをやっているみたいだ。  黒板に書かれた時刻が近づいてきた。ミユ先生はまだ戻っていない。集まった生徒のなかにはプリントを済ませてしまったひともいて、暇そうにしている。別のクラスの子は、自分で持ってきた何かのドリルを解き始めていた。  廊下から足音が二つ聞こえてきて、 「遅くなってごめんねー、篠宮さん、車渋滞してたって」 「こんにちはー」  ミユ先生と一緒に、髪の長い男の人が入ってきた。ワイシャツを着て、折り目のついたズボンを履いて、しゃきっとしているけれど、真琴のお父さんと違って会社で仕事をしている風にも見えない。お父さんよりちょっと若いくらいだろうか。  みんなを見渡して、篠宮さんはうなずいた。ミユ先生が「はい、じゃあそろそろいいかな」と声をかけると、リンちゃんが勢いよく手を挙げた。 「先生、質問!」 「まず解答渡すねー」  生徒達の間を歩きながら、ミユ先生はそれぞれの問題に応じた答えのプリントを配った。何年生でも参加できるみたいだから、あっちの机のひとは上の学年なのかもしれない。答えを受け取って、真琴もやれたところまで丸付けを始めた。迷った問題もあったけれど、案外できていて安心した。

 ポチカは丸付けもサクサクと進んで、山田は首をかしげてはじ―っとプリントを見て、数回うなずくのを繰り返している。他のみんなも同じような感じのなかで、リンちゃんが篠宮さんをそばに呼び寄せていろいろ話をしていた。真琴の席のすぐ後ろに篠宮さんが立って、身体を屈めている。レモンのような香りがする。 「これは、これはなんでこうなるの」  リンちゃんの声が普段より高くて、教室のイメージとちょっと違った。篠宮さんは丁寧に答えている。篠宮さんの声は、どう表現したらいいのか、まろやかでふわふわしていた。  手が止まっていると、ミユ先生が真琴のプリントを覗き込んだ。 「真琴君、どう?」 「あ、まあまあです。けっこう」  ちゃんとできて赤く大きな丸を付けたところを見せると、ミユ先生は笑顔になった。Tシャツだから胸ポケットがなくて、いつものペンが差さっていない。 「本当だ、――やっぱり真琴君、やればできるね。ポチカさんも勉強が進んでるみたいだし、すごいねー」  ミユ先生の言葉を聞いて、ポチカはにこにこした。「ありがとうございます」とお礼をいって、身体をまっすぐにしてミユ先生の顔を見つめる。先生はもう一回ほほえんで、山田の横へ行くと、しゃがんで頭だけ机の上に出す格好で、山田が間違えたらしい問題の説明を始めた。  篠宮さんはリンちゃんから離れて、他の生徒の疑問点に答えていた。クラブによく来ているひとは、篠宮さんのことを知っている様子だ。それぞれ楽しそうにおしゃべりをしつつ、教えてもらっている。  プリントの裏面が終わり切らなかったので、真琴は手前まで丸付けを済ませたあと、また問題をやり始めた。ポチカはミユ先生が山田と話すのを眺めながら、足をぶらぶらさせていた。ポチカの足が動く影が床に揺れるのが目に入る。 「しまったー、ここちゃんと式書いてるのに」 「足すと引くって案外見間違うから。きれいに書くのがまず大事だよ。せっかくがんばってるんだから、自分が分かるように書こう」  田中道彦が悔しがるのを、篠宮さんは面白そうに笑っていった。篠宮さんが笑うものだから、田中道彦も頭に手を当ててみせて、ごしごしと消しゴムを使う。 「あれっ、残しといたほうがいいよ。間違ったの。――あとで見直せる」 「でも自分のミスまた見るの恥ずかしいっすよ」 「でもすでに僕見たよ。前も見てるし」  篠宮さんと田中道彦は二人でどっと笑った。田中道彦が大人っぽい口調で話していて、リンちゃんの様子や図工室の雰囲気も合わせて、真琴は同じ学校なのに全然違う場所のように感じた。  いつこのクラブは終わるのだろうか。そういえば終わりの時間は聞いていなかった。時計を見上げるけれど、あまり時間は経っていない。生徒達はやけに真面目で、おしゃべりすることもなく黙々と勉強している。篠宮さんやミユ先生とのやり取りの声だけが響く。これならグラウンドでポチカと遊んだほうが楽しかったかもしれない。  ポチカを見ると、プリントをやり終わってシャープペンをくるくる回したり、ペン先で消しゴムをつついたりしている。 「ポチカ」  ささやく声で呼ぶと、ポチカはシャープペンと消しゴムを握ったまま「なになに?」と身体を近づけてきた。真琴も静かに椅子を横へ引きずって、 「もう終わったの」 「うん、おもしろかった。まことくんは?」 「まだ。途中。――トイレ行きたくない?」  ポチカは首を振った。 「そっか……」  真琴は自分のプリントに目を落とした。あと数問なのだけれど、なんだか気もちが乗らない。ポチカもただ見てくれていて、何もしない。プリントの端っこを指で丸めたり折ったりしていると、 「どんな感じ? 謎なところある?」  篠宮さんの声が肩から聞こえた。真琴とポチカの真後ろから回って脇に来て「初めましてー」と挨拶をしてくれた。正面から顔を見ると、篠宮さんは色白でほっぺたがピンク色だ。上着もお父さんのスーツと違って、やわらかいジャケットという感じだ。ポチカと二人で「こんにちはー」と返事をした。  ポチカのプリントをざっと見て、親指をグッと立ててから、篠宮さんは真琴のプリントを覗き込んだ。 「あとちょっと? 悩んでるところある?」 「悩んでるっていうか――」  この場に来ておいて、やる気がないとはいいづらい。真琴はいちおう鉛筆を握り直した。鼻から息をすーっと吐くと、窓のすぐ外を走って行く生徒の声がする。 「たぶん行けるよ、大丈夫。チカラ出る」 「はい」  篠宮さんの応援をちょっと大げさだと思いながら、真琴は残りの問題を解き始めた。計算がうまくいかないところで、篠宮さんが「いまどんなイメージ?」とか「そう、その流れ」とか、ヒントなのか何なのか分からないようなことをいうから、一瞬考えが止まってしまう。でも、どうしてかそのあとやり方が浮かんでくる。  真琴自身はふらふらと歩いたような感覚だけれど、いつの間にかプリントが全部終わってしまった。見ていたポチカがグッと親指を立てる。篠宮さんもにこっとして、 「うん、やはり当然――、できるよ。オーケーオーケー」  といいながら、他の生徒のところへ移動していった。  答え合わせをしてみると、間違っている問題もあったものの、だいたいはできていた。真琴は不思議な気もちのままぼんやりした。それからもミユ先生と篠宮さんが図工室のなかを行き来して、生徒達の質問に答える間、真琴はポチカに教えてもらいつつプリントをやり直した。 「はい――、じゃあ今日はこのくらいかなー。みんな、今日もよくできました。新しく参加してくれた人もいて、先生嬉しいです。……篠宮さんも、何かありますか」  ミユ先生と篠宮さんが教壇に戻って、みんなを見渡した。篠宮さんはハンカチで額の汗を拭くと、持ってきていたペットボトルの水をひと口飲んで、 「みなさん、よく取り組めてます。なんかね、自分なりにやれてる感じがすごいです。――とにかく、自分がどういう風に考えているか、計算を進めてるかとか、よくとらえておいてください。別に勉強そのものはね、ある程度な感じでいい……かもしれないから」  いい終わって、自分で笑っていた。生徒達も隣の人とひそひそ話して笑う。ミユ先生は手元にもう一つファイルを用意していて「お家で練習するプリントが欲しい人いってねー」と持ち上げてみせた。  上級生のグループがガタガタと席を立って、ミユ先生からプリントをもらうために教卓へ集まった。田中道彦とリンちゃんも立ち上がって、片付けをしながらおしゃべりを始める。 「彦ちゃんち、夕ご飯なにー?」 「分からんよ、全然分からん」 「――リンちゃん、今日、蓮の家来る?」  蓮ちゃんは髪を後ろで結んでいて、上と下がくっ付いた服を着ていた。真っ黒なランドセルから透明なバインダーを出して、今日のプリントを挟みこむ。  ミユ先生からプリントを受け取った上級生達は、図工室を出るときに「ありがとうございましたー」と大きな声で挨拶をして帰っていった。篠宮さんも手を挙げて軽く頭を下げる。使っていた椅子がバラバラになったままだったので、リンちゃんと蓮ちゃんが机に寄せて戻した。

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