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小説家「ゴールドラッシュ」

序幕 〜しかめっ面の女ピエロ〜 六月の今日、梢は退学届けを提出した。 「考えなおす氣はないのか?」 長年の経験から高校を中退した先に輝かしい未来が待っている人間はほんのひとにぎりであることを知っていた担任は梢の決心を確認するように問いかけた。退学届けには両親の署名と押印されているので、本人が撤回しない限りは受理するしかない。 「すみません。お世話になりました」 道端の緑の葉に光る雨露を眺めながら、いつもと同じ帰り道をいつもと同じ心持ちで歩いた。心地よい風が私の頬を優しくなでてゆく。 もっと心が揺れ動くかと思ったけれど、私の意識は淡々とやるべきことをやるように静寂そのものだったし、どこか冷めてもいた。それを客観的に見ている自分もいて、これでいいんだと肩の荷がおりたような清々しさがあった。 私が生まれ育ったところは何もない場所だった。大きな川が流れ、見渡す限りの田んぼや畑、遠くにそびえる山に囲まれて私はのんびりと育った。ただ、この土地は戦争の跡地らしく、私が小学一年のころだったか、大きな川の底に沈むミサイルのようなものを撤去するために近くの住民は避難するようにと命令が出されたことがあった。川に沈んでいるそれは事故もなく数時間かけて無事に運びだされた。家に帰ると町内アナウンスが流れ、私のあずかり知らぬところですべてが終わったことを知った。撤去されたものの重さや形はよく知らないが、私にとって同じ日常の繰り返しのなかにこんなことがあるとワクワクしたのを覚えている。 町にコンビニエンスストアができたのは私が高校生のときだ。小さなスーパーや個人でやっている魚屋とかはあるので、普通に生活する分には日常生活に不便はない。通っていた小学校の通学路にある小さな本屋には私がワクワクするものがないので、あまり行ったことがない。隣町に行く足もないので、本はもっぱら図書館で取り寄せてもらっている。 それでも小学生のころは小さな本屋の前を通るのが楽しみだった時代があった。小さな本屋の窓に貼られている映画のポスターの女優さんを見ては、私もこんなふうに輝きたいと思いながら通学したものだ。 その女優の名は、あさぎりひろ子だ。 この映画のオーディションで決まったそうで、有名女優でもオーディションを受けるんだなぁと驚いた。 テレビで映画のメイキング特集が流れていて、監督に自分の演技論をぶつけている彼女の作品に対する熱意が印象的だった。私は彼女のそういうところが好きで、私よりひとつ年上でとても大人っぽく、笑うとえくぼができる表情がとてもあどけなく可愛らしく、私の好きな女優さんだった。 映画は、十八歳の児童養護施設で育ったヒロインが、ひとまわり以上年上のお金持ちの男性と恋に落ち、けんかになりながらも、その男性から教養や振る舞い、マナーなどを教育される。その彼が事故で亡くなってしまうと、周りの嫉妬から命を狙われいろいろな苦難が待ち構えているが、彼女はそれらを乗りこえ、もともと持っていたデザインの才能と努力で、ウエディングドレスのデザイナーとして国内外で活躍していくというものだ。 私は父親に頼んで、隣町まで彼女の映画を観に行ったことがあった。 「ポップコーンは買うか?」と父に聞かれたが、私は映画に集中したいため「いらない」と答えた。 私はテレビで観たメイキング特集と、本編を照らし合わせながら観ることが楽しく、映画ってこんなふうに作っていくんだと、たくさんの人間が関わっていることが興味深かった。 あさぎりさんの同世代とは思えない色氣のある演技に、私はドキドキしながらその映画に見入った記憶がある。 私は映画館の売店で、撮影シーンなどの裏話なども記載されているパンフレットを買った。あさぎりひろ子という女優をもっと知りたかったからだ。家に帰り、私はそのパンフレットの隅々まで目を通した。 やっぱり、私はこの女優が好き。顔も演技に対する取り組みかたも…。 女にも女の好きなタイプがあり、私はやはりあさぎりひろ子というひとりの女優にひかれた。 劇中の命を狙われたヒロインがそれに屈しず、夕暮れの川の土手をひたすらひとりで歩いていくというシーンだ。 しばらく私は、家でも学校でもずっとあさぎりひろ子という女優への憧れで、登下校中はヒロインのように顔をあげヒロインになった氣分で前だけを見て歩き、絶対に私は女優になる、そんな氣持ちよさを味わっていた。 非日常な世界のすべてを私は本や雑誌や漫画、そしてテレビや映画の世界で知り、私の知らない場所にはそうした世界があると胸が高鳴った。 何もない自分にもきっとなにかあるんじゃないか、私にだって見つけられるんじゃないか。何が見つかるかわからないけど、微かだったとしても希望はあるはずだし、スポットライトを浴びてみたい……私のなかに、笑顔を見せ美しく輝く映画のなかの女優への憧れがどんどん高まっていった。 そう、この女優になる夢を形にするため、退学し上京することを決心した。 私が自主退学を選択するまでの経緯は、こんな感じだ。 私、吉川梢は恋愛すら知らない、来月十七歳になる高校二年生だ。私は昔から変わっていて、よくも悪くもユニークで少数派だった。今でこそ笑って話せるが、よく覚えている話がある。 小学生のとき、「学校って好きじゃないから、毎日行きたくはありません」と真面目に担任に言ったことがあった。 「そうねえ、吉川さんはお友達いないでしょ? 体育も苦手でしょ? お絵かきや図工もあれだし、なんか給食もおいしそうに食べてないし、普通なら学校に来て楽しいねと思うようなことがひとつくらいあってもいいけど、よく考えてみれば吉川さんは何もないわねえ」 この先生は、私のことがあまり好きではなかったのかもしれない。だから、先生は厚意で私の言葉を受けとめず、つい本心を漏らしてしまったのだと思う。 本当のことを言われてとてもショックだった私は、もう二度と誰かに相談やアドバイスを求めることはやめようと思った。 またあるとき、「なんで、そんな服を着てるの?」とクラスメートが言ってきたことがあった。 「えっ、なんでって……なんで? 母に着ろって言われたんだけど」 「そんな服を着てるんだから、あなたが鬼をやってよ」 鬼ごっこをするときは同じクラスの女子たちによく言われた。 私は長女だったが、ツギハギの服やお古をよく着ていた。ツギハギがあてられた服しか自分の家にはなかったし、周りにそれを指摘されるのも嫌だったから、だんだんと人と遊ぶことをしなくなっていった。きれいな服を着るという考えがなかった私は、人と遊ぶのを避けるようになり、ツギハギの服を着て自分の好奇心の赴くままにいろいろな世界へとどっぷりつかっていった。いわゆるひとり遊びというやつだ。 たとえば、虫眼鏡で紙を焦がせるのかを試して、じっと煙が出てくるまで見ていたり、理科の授業で観察していたプラスチックの虫かごのなかのアリの巣をひっくり返してはじっと見たりしていた。 人間の体の仕組みや、鳥の全種類が一冊にまとめられたもの、地球や宇宙のことなど世界の仕組みが写真といっしょに書かれているカラー図鑑を見るのも好きだった。 ピアノは習ってみたかったけど、母に却下された。 人とは違う。同じでなければ自分が大変なことになる。でもなじめない。なじむタイプの人間ではなかった。それだったら、とことんわが道を行くほうがいいと思った。 制服にさよならして、早く人と同じでなければならない世界を卒業したかった。 そんな私にきっかけを与えてくれたのは久しく足が遠のいていた町の小さな本屋だった。 その日の様子はよく覚えている。店のなかにはお客さんがひとりだけだった。 どうせ何もないと期待していなかったが、その日はなんとなく足が向いた。上を見上げるとキラキラとした背表紙の本が見えた。その本は背伸びしても手が届きそうもない棚の一番上にあったが、取ってくださいというのは恥ずかしかった。指の先端が背表紙の下部にぎりぎり届いたので、ひっかけて手前に出そうと試みた。しかし、どういうわけか隣にあった本が足もとにバサッと落ちた。 私はあーあとため息をついた。 落ちてきた本を手にとると、そこには『マンガで学べる西洋占星術』と書かれていた。 西洋占星術というのを聞いたことはなかったが、家の屋根に登り夜空を眺めるのが好きだった私は興味を持った。星はキラキラ輝いて奇麗で好きだった。田舎なので、空が広くて星がよく見えたし、夜空を見上げていると目に涙がじわーとにじむときがあり、私は言葉にならない不思議な氣持ちになった。そのくらい自然のなかにある星というものが好きだった。 私は好奇心で最初の漫画で描かれた十ページだけを立ち読みした。 なんでもホロスコープというもので、自分の誕生日で運命の方向性みたいなものがわかると書かれていた。そのイギリスの女優は、自分でホロスコープを作り運氣のよいときに大規模なコンテストに応募して、彼女はそのコンテストに見事優勝し今では誰もが知るスターとなって映画やドラマで活躍している。そして御曹司と結婚して二児の母になり、仕事も続けつつ幸せな暮らしをしているというのだ。彼女の生い立ちをたどると決して裕福な家庭環境ではなかった。両親は離婚しており、母と弟との三人暮らしであった。 私は初めて知ることばかりだったが、なぜかこの物語を自分のことのように思ってしまった。そして、ホロスコープを読めるようになれば、自分の人生を変えることもできるんだとうれしくなった。 十ページだけざっと読むと、どうやら自分は知性的で頭がいいと書かれてあった。 結局、私はその本を買わず、家に帰って屋根に登った。 私の知らないことっていっぱいあるんだなという興奮と、なにか充実感が混じったキラキラしたものを見つけたワクワク感でうれしくなった。この思いを大切にしたくて、宝物を扱うかのように当分の間それを自分だけの秘密にした。それまで勉強が好きではなかった私だったが、知的というキーワードに胸を躍らせ、ちゃんと勉強すればテストでいい点が取れるかもしれないとたくさん予習して学校へ行った。 その結果、授業の答えがわかり先生に褒められた。もちろんテストは百点を採った。 私はうれしくて、家に帰って両親にそのテストを見せた。 「女がこんなに勉強できたって仕方ないの。公務員とかと結婚して、普通の家庭を作るのが女にとって幸せなんじゃないの?」 母は喜ばなかったが、私は自分の可能性を知った喜びでワクワクしていた。なぜなら自分がテストで百点を採ったことは事実であり、自分の体で体験したことが何よりもの証拠だったからだ。 中学生ながら私は、まだ一度も恋愛したことがないことを悩んでいた。でも、今は芸能界で女優として活躍したいという一心でしばらく考えないようにした。 落ちついたら、自分もホロスコープを作ってみようかな? そうすれば、焦りを紛らわす氣晴らしにはなるかもしれない…。

こうした子ども時代を過ごした私はとうとう芸能界への第一歩を踏み出すことにした。大学に通うために上京するわけではないので両親は反対したが、私は両親に女優になりたいとは言わなかった。上京する目的のひとつは夢を追いかけることだったが、ひとり暮らしをして働きながら女優を目指せば、この家と縁を切れるとも思った。反抗期うんぬんで言ったりしているわけでもない。 そもそも私の家庭環境は複雑だった。決して心地良い場所ではなかったし、なんなら家庭機能不全家族だ。 母親は、自分の理想を押し付けコントロールしてくる毒親。見栄っ張りで、甲高い声が梢の耳に障る。成績が優秀な兄はどちらかというとおとなしい性格だが、頑固で気に入らないことがあると、一カ月は平氣で口を聞かないこともある。しかし、いつもひいきされるのはふたつ上の兄のほう。母は兄のほうがかわいいに違いない。 私のインナーチャイルドの傷がたびたびうずいた。私が生まれてくるとき、母は大量出血だったらしく、高校生になるまで何度もおまえが暴れたからだと私に冷たく言い放った。 出産は、母と生まれてこようとする赤ちゃんとの共同作業ではないの? どうして自分を悪者にするのだろう? 私は傷ついた。 私は中耳炎やものもらいもよくやった。子どもの目の疾患は家庭に見たくないものがあるから、耳は聞きたくないことがあるから心理的に圧迫されて体に異変をきたすと、私は高校生になってから知った。 また、私が中学生のころ、叔母といとこがうちに遊びに来たことがあった。そのいとこはふたつ年下で、どちらかというとのんびりしている自分は活発なタイプのいとことはウマが合わなかった。 私がお風呂からあがると、いとこが泊まることになっていた。 私が髪を乾かし終えると、母が突然「隣の部屋で寝なさい」と言った。 何がしたいのか母の意図が私にはわからなかった。少しふすまを開けられ、その日は言われるがままいつも寝ている二階の自室ではなく、隣の部屋でひとりで寝た。寝る前のぼんやりとした意識のなかで、母と叔母に囲まれ、夜中までテレビを見ながらチヤホヤされ楽しそうないところをふすまの隙間から見ていた。 今になれば、母はふすまの隙間から見える明るい雰囲氣を私に見せつけたかったに違いない。 母は、どうして私に見せつけるようなことをするのだろう? わざわざこんなことをしなくていいのに。母は、それをしたら私が傷つくことを考えないのかな? 焼きもちを焼かせたくてやっているなら、それはおかしい。 私は悲しかったが、どうやって自分を表現すればいいのかわからなかった。 少しあとになって「自分の部屋で寝なさい」と取り繕うかのように、父が言った。氣持ちを察してくれたのか父の氣まぐれだったのかはわからないが、私は胸が張り裂けそうで苦しく、また自分が情けなく悲しくなった。感情が垂れ流されている状態を早く切り抜けたい、感じたくないという一心で、完全にパニックになってしまった。 全身の力が抜けてしまった人形のようにうつむくだけの私は、階段を登る足取りがとても重かった。傷ついて寂しいのは確かなのに、染み付いた我慢してしまう癖がいろんな感情をまひさせていた。 もともと父は物静かで人とのコミュニケーションが上手なほうではなく、母のほうが氣は強い。怒りを抑えていた部分もあるのだろう。言葉で表現することが苦手な部分は父と似ていた。父はアルコールに依存していたから、父の人生になにか屈折したものがあったのだろうかと、私は思っていた。私はときどき父のビールを好んで飲んでいたことがある。泡のない下の部分だけを私がひとくちふたくちと炭酸ジュースみたいに飲むことを母は嫌がっていた。 人間は何かに依存する。多少なりとも心のよりどころが必要なのかもしれない。過剰になるかならないかの差で、お酒や物欲など依存の対象は人によりまちまちだ。 「なんであのとき、自分の部屋で寝なさいと言ったの?」と酔っている父に聞きたかったが、ついに聞けずじまいだった。自己表現したら母に笑われるんじゃないかと怖がる弱い自分と、痛くもかゆくもありませんと母に屈しない強氣な自分が心のなかで葛藤していた。 母は、私にこんな娘に育ってほしいと日常生活の態度にそれとなく入れてくる。この件に関して言えば、母は素直に焼きもちを焼く子どもらしい天真爛漫さを私に求めていたのかもしれない。しかし、私の真の部分はコントロールされない、誰にも侵されない神聖な部分があった。私は感情を表に出せない分、自己表現ができず周りに流されてしまう。言葉を発しようとすると、なぜか泣きそうになり、言葉が出てこなくなる。 人は、なんであんなに楽しそうに笑えるのか、本当に心から笑っているのだろうか? 私には理解できなかった。母が求めている理想像も理解できなかった。 私はどこをどう組み替えるのではなく、取り換えるのでもなく、何もかも全部まとめてごっそり捨ててしまいたいくらいだった。 おまえらに何がわかる…。 私は怒りをエネルギーに変え、表面上は何食わぬ顔して反骨精神だけでずっと生きてきた。生まれてから今までの家庭環境のコンプレックスとか、周りと同じようにやることが苦手な自分、人を信じれずに恋愛したことがないことが私の頭をずっと占領していた。 もううんざりだった。 籠のなかの鳥が空に恋するかのように、高校二年の私は退学届けを出し未知の世界へ飛び出そうとしていた。 □■□∞∞────────────────────────────────∞∞□■□

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