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刻のエンピツと木の精ポチカ12

刻のエンピツと木の精ポチカ12

 荷物を一度車へ運びに行っていたお父さんが戻ってきた。お母さんは先に車で出発する準備をしているという。  気温が高くなって、ほっぺたに当たる風がぬるく感じ始めた。たぶん普段のこの時期に比べたらかなり暖かい。野原には昨日なかったテントが立っていたり、駐車場に車が増えていたり、今日は新しくキャンプ場を訪れるひとが多いみたいだ。  陽射しが強いせいか、草の薫りもよく風に乗っている。見当たらないけれど花の甘い匂いも混ざっているようだし、昨日よりも音が小さくなった渓流の水気もある。  屋根が白く光を反射しているロッジには、ちらほらとお客さんが出入りしていた。テントの準備やアクティビティのために広場を行ったり来たりするひともいて、みんなまぶしそうに帽子をかぶったり、目元に手をかざしたりしている。キャンプ場の隅々まで太陽が降り注いでいた。  真琴は夜に出会った動物の眼を思い出した。きっと夜行性だから、いまごろは寝床で休んでいるはずだ。どこかひとの気配がないところへ出かけているのかもしれない。 「今日は魚をあげられないんだ、――またな」  と、心のなかで思って、真琴はリュックを担いだ。 「まことくん」  鞄をたすきに掛けたポチカが真琴の肘辺りを引っ張って、腕を伸ばして遠くを指さした。見ると、高い高い空を白いものがひらひらと舞うように飛んでいる。目を凝らしてみると、どうやら鳥のようだ。 「気もちよくて遊んでるのかもしれないね」  ポチカもじっと見上げていった。すごく高いところを飛んでいるから、身体がとても大きいだろう。地上からは羽根の形もはっきり見えないほどだけれど、くるりと回転したり、急降下したり、空を泳いでいる。  力をふっと抜いたように落ちたと思うと、上へ向かって昇る。そのまま止まったかのように軽く浮いていて、また動き出す。まるでダンスだ。 「あ、ポチカ、二匹――二羽いる?」 「ホントだ」  真琴がいうと、ポチカもうなずいた。ずっと見ていると、自分が鳥になったような気もちもしてくる。腕に風を感じて、ただ空を飛んでいることがどれほど心地よいものか、肌に教えられているようだった。  鳥達が薄い雲に隠れるまで眺めたあとで、 「行こう」  ちょっと跳ねてリュックの位置を整えて、真琴はポチカにいった。ポチカはにっこり笑って真琴の手を握る。二人はつないだ手をぶんぶん振り回してよろけながら、向こうで待っていてくれたお父さんと一緒に車へ戻った。  キャンプ場を出発したのは、ちょうどお昼を過ぎたころだった。お腹も空いていたのだけれど、真琴もポチカも車に乗り込んだのとほとんど同時に眠ってしまった。車が揺れるのを時折感じるくらいで目が覚めず、気が付いたらかなり街のほうまで帰ってきていた。  変な姿勢だったせいで首がちょっと痛いまま、窓の外を見てみると、街路樹に陽射しが当たって葉がきらきらと光っている。それが後ろへ流れるのと同時に、空の青さをフロントガラスに映した車が何台かすれ違った。風圧が真琴達の車にかかる音がする。 「起きたか」  お父さんがミラーで真琴を見た。助手席のお母さんが何もいわないのは、たぶん眠っているからだろう。ポチカもドアに寄りかかるように身体を曲げて寝ている。シートベルトが首に当たって窮屈そうだ。  真琴がうなずくだけにすると、 「疲れたな、おにぎりあるぞ」  シートの間のポケットに置いていたビニール袋を片手で触って、お父さんがいった。 「何があるの」 「なんだっけな、たらことか鮭とか。――たらこはお母さん食べてたか。ちょっと見てみな」  ちらっとなかをのぞいてから、また前を向いて、お父さんは後ろ手に袋を持って真琴に差し出した。もらって見ると、梅と鮭とシーチキンのおにぎりや、サンドイッチもひとつ入っている。  ぼんやりした頭でどれにしようか考えていたら、信号で車が止まった。 「ポチカ君にも起きたらあげな、もう少しだけど……」  お父さんは一度言葉を切って、運転席の窓を数センチ開けた。やっぱり今日は暖かくて、エアコンの効いた車内に暑いくらいの空気が入ってくる。

 交差点を車が行き交うのが窓から聞こえてきて、大きな通りだからか、これということのできないくぐもったいろいろな音も入ってくる。風も排気ガスのにおいが強いのではないのだけれど、キャンプ場と比べると別なものの濃度を感じた。 「ポチカ君て不思議だな。お父さん、全然よく分かってない」  ハンドルに片手をかけて外を眺めながら、お父さんがつぶやいた。真琴はシーチキンのおにぎりの封を切ってひと口かじり、梅をポチカにあげたらどんな反応をするかと考えていたところだった。 「お父さんは食べたの」  口をもごもごさせたまま真琴が訊くと、 「一個食べた。運転しながらだからな、――真琴、ポチカ君と一緒にいたいか?」 「え、……うん」  口のなかのものを飲み込んで、真琴はポチカのことを見た。同じ姿勢で眠っている。お父さんもミラー越しにポチカを見ていて、少し真剣な顔だった。 「正直、お父さんはやっぱり信じられないっていうか、よく分かってない。ポチカ君がどんな子だとしても、ただこうしてるだけでいいのかも何ともいえないだろう?」  信号が青になって、お父さんは車を発進させた。エンジンの音と一緒に、窓から風が強く入る。ちょんとスイッチを押して、お父さんは運転席の窓を閉じた。  シートを通じて路面の感触が伝わってくる。アスファルトだからでこぼこはあまりなくて、ざらざらした振動がお尻と背中に響くだけだ。もちろん心のどこかでポチカとの関係はずっと考えていて、確かに真琴自身もどうしたらいいのか分かっていない。  けれど、不思議ですごい存在だとか、反応が面白いとかいうことを超えて、ポチカのことが大好きになってきているのは間違いなかった。 「――でも、ポチカ君といて真琴が楽しそうなのも分かるし、いい影響を受けてるのも分かる。だから、もう少し様子を見るのでいいのかなってお父さんは思ってるよ。ポチカ君のことがもっと分かるまで。ポチカ君も楽しいみたいだし」  お父さんのほほえみがちな目がミラーに映った。真琴も大きくうなずく。ただ、ポチカと一緒にいることになるのは当然のような感覚もしていて、特に安心したということもなかった。  休みの最終日だけれど、車は渋滞に巻き込まれずスムーズに走っている。街のなかへ近づくにつれて、建物が集まってひとや乗り物も増えてくる。通りすがるひとびとは真琴達と同じように、お出かけをしてきたのだろうか、それとも普段と変わらず過ごしたのだろうか。  また真琴にとっての日常が始まる。お父さんは小さい音でラジオをかけた。  ポチカが目を覚ましたらサンドイッチも半分あげることにして、真琴はハムのサンドにかぶりついた。ポチカを見ると、ちょっと身体をねじって寝返りを打ったみたいだった。

 キャンプのあと、ポチカは正式に真琴の家で暮らすことになった。お母さんは最初から乗り気だったし、お父さんもお父さんなりに納得してくれたようで、ポチカは真琴の弟か双子のきょうだいくらいのイメージで迎えられた。  ポチカが申し出たこともあって、ごみ捨てや簡単な掃除の当番など、真琴がやっていたお手伝いをポチカも担当することになった。初めはお手伝いが減って楽になると思ったけれど、結局は真琴も一緒にやることが多くて、ポチカに教えたりおしゃべりをしたりしながらの作業も楽しかった。  昼間の太陽がどんどん高く昇るようになってから、空はもっと青く、もくもくした大きな雲がよく目についた。街路樹の葉が出切って濃い盛りになり、真琴がいつも出歩く範囲の街並みは緑の傘に覆われる箇所が日向との対比ではっきりしてきた。  道路脇の花壇や公共の園芸スペースにも、ひまわりが日に日に育って黄色い花を開いている。そのそばで、真っ白く細かな花びらをつける名前の分からない低木が満開になった。  あちこちからセミの声が響きだして、歩いていて聞こえる音といえば、車の音か、話し声か、セミの声かというくらいだった。真琴はポチカと外へ出たときに、木の幹に張り付いた声の主を見つけて教えてあげた。  半月か一か月ほどは、ポチカも日中お母さんと話したり、料理を手伝ったり真似したり、真琴のマンガやゲームに触れたりと、家にいて楽しく過ごしていた。けれど、それが当たり前になっていくにつれて、暇を持て余すようにもなってきた。  お母さんのほうも、ポチカをひとりで外へ出すわけにはいかないし、自分が毎回面白いことを用意してあげるのも大変なので、どうしようかと考えていたのだった。 「ポチカちゃん、前に一回、まこちゃんの学校行ったよね」  ある日の夕食の時間に、お母さんがいった。お父さんはすぐその意味が分かって、 「手続とか大変じゃないか? 先生だって」  「でも、ポチカちゃんもずっとお家じゃ飽きるでしょ、――ねえ?」  お母さんにたずねられると、ポチカは左手に箸を持ったままうなずいた。ちょっと練習したら、ポチカは左右どちらの手でもご飯が食べられるようになった。 「はい、学校はやっぱり行ってみたいです。まことくんからよく話を聞くけど、おもしろそうな遊びがいっぱいです」 「勉強はたぶんつまんないんじゃないかな、ポチカだと。簡単すぎると思う。――でも、確かに山田とかもポチカとまた会いたがってるよ」  真琴は目を伏せて、お米を口に運んだ。内心では、ポチカと一緒に学校で遊べるのが楽しみすぎる。学校へ行くとなると、いろいろ面倒かもしれないので、これまで真琴は遠慮していたのだ。  以前だってポチカはきちんとクラスに入ったわけではないし、山田やミユ先生には会ったものの、外国から来たという説明でごまかしたにすぎない。山田は「エンピツ」とか不思議なものには抵抗がないだろうけれど。 「もう少しで夏休みでしょ? その前に短い間だけ通わせてもらったりできないのかな」  食べ終えた自分のご飯茶碗とお椀を重ねてから、お母さんはリビングのローボードの引き出しを開けた。真琴の学校関連の書類や電気製品の説明書、家の何かの書類などがまとめてある。いくつも書類を取り出して眺めながら、 「まこちゃん、誰だったっけ? 去年転校してきた子」 「えー分かんないよ、クラス違うし。関わることないし」  真琴は首を振った。 「転入扱いっていうのも無理があるんじゃないか? 前の学校からの、なんていうの、紹介状みたいなの必要そう」 「そっか、転校ってなるとそうだよね。何とかならないかな」  お母さんはちょっと考え込むと、書類を戻して、みんなが終えた食器を台所へ運んだ。洗い物の音がリビングに響く。  真琴とポチカも残りの食器を台所へ運んでから、空いた手でお母さんが用意しておいてくれた果物をテーブルに持ってきて、お父さんと一緒に食べた。お父さんがつけたテレビはコマーシャルの時間帯で、スーパーの安売りとかパチンコ屋さんとか、きれいな車の映像が流れている。  コマーシャルのひとつに学習塾の映像が流れた。真琴も名前を聞いたことがある有名な塾で、友達にもそこへ通っているひとがいたはずだ。 「真琴、あれ、学校でも勉強教えてくれるっていってなかったか」  お父さんがテレビを指さしていった。ポチカは不思議そうに、 「――学校って、勉強するところじゃないんですか?」 「いや、もちろんそうなんだけど、……あれ、何だっけ、学校終わってから有志が集まってみたいな」  面白そうに笑いながら、お父さんは真琴を見た。真琴はすぐに思い当たったけれど、なんとなく濁して、カットされたバナナを口に含んだ。ヨーグルトがかかっている。 「クラブね、クラブ」 「『放課後学習クラブ』でしょ。まこちゃんも誘われてたじゃん、先生に」  このときだけ、お母さんが水を止めて、台所から声をかけてきた。そうだ、「放課後学習クラブ」。そもそも名前が変に感じるし、正規の授業はしっかり聴きたいけれど、放課後まで勉強するなんて真琴は嫌だった。  ミユ先生は真琴の学力を心配して、クラブのことを教えてくれた。いろんな先生が持ち回りで監督することになっていて、ミユ先生も参加しているらしい。そのときは「今度行きます」とだけ答えて、そのままにしてある。真琴はテレビから目を動かさずにいった。 「ちゃんとやってるし、必要ないよ。ポチカもいるし」 「それでポチカ君がそこに行けばいいんじゃないか? 学校の授業じゃないから、友達が一人二人いても大丈夫じゃないか」 「――なるほど!」  振り向くとお父さんがにやりとした。ポチカも目を輝かせて、真琴の顔を見る。 「じゃあ、明日ミユ先生に話してみる」  嬉しかったけれど、勉強させられてしまうことにもなるので、実はちょっとだけ複雑だった。話をしたときのミユ先生の顔が目に浮かぶようだ。何ていおうか考えつつ、真琴はニュースが始まったテレビを眺めた。  ポチカは果物の皿を台所へ持って行って、お母さんの手伝いを始めた。洗った食器を拭いて並べている。まだお皿拭きが楽しいのだ。お母さんも残った果物をつまんで「ありがとう」というと、食器棚のどこに片付けるのかを教える。  お父さんは力を抜いて背もたれに寄りかかって、見るでもなしにテレビを見ていた。時折ニュースにコメントして、自分で納得している。  顔を上げると、壁にかかった時計の針がゆったりと動いていた。

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