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個の責任、公の責任

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昭和の頃、新聞に「身体障害の子供が柵のないドブに落ちて死んだ」という記事が載った。 あなたは、この責任が誰にあると思うだろうか?  「親が悪い」「施設にいたなら介護者が悪い」「危ないドブに柵を作らなかった市や国が悪い」「自己責任」という声が聞こえてきそうだ。  これは、1976(昭和51)年初版発行、故犬養道子氏の『ラインの河辺』の「福祉」に出てくる話だ。  当時、ドイツ在住だった犬養氏が日本から取り寄せた新聞にあったこの記事を、知り合いのドイツ人、イギリス人、アメリカ人に読んで聞かせ、「どう思うか」と尋ねたところ、答えは一致していた。  この例に登場する欧米人の答えが、令和2年の日本においても大きな意味を持つ。  新型コロナウイルスのパンデミックに対する政府の無能と、私が福祉や障害者について常々感じてきた多くの問題点の一つとは、根の部分で共通していると感じている。  それは、日本における「個の責任」と「公の責任」のゆがみが、原因の一つだということだ。  最初におことわりしておくが、私は欧米がすぐれていて日本が劣るなどとは全く思っていないし、むしろ「日本人でよかった」と考える方だ。  ただ日本の現状を考えるに当たり、欧米との比較は問題点や特徴を明らかにするのに必要だと思っている。  そして、ここで触れる「個の責任」「公の責任」という民主主義の基本は、発祥がヨーロッパである以上、比べた方がわかりやすくなる。  私自身の障害や遠距離介護など福祉関連の過酷な体験、イギリスで数年暮らした体験など、あくまでも私の体験してきた狭い範囲内からの個人的な視点によるものだが、日本では「個の責任」と「公の責任」がひどくアンバランスで、特に「個の責任」が大きな誤解をされていると感じている。  結論から言えば、日本にはまだ民主主義は根付いていないから、国民の声がなかなか政府に届かない。  これは日本人が劣っているのではなく、歴史的な未経験、精神的風土の違いによるもので、ある意味では仕方がない。  それでも、もう「仕方がない」ですむ問題ではないので、まず民主主義の基本である「個の責任」と「公の責任」について、日本の現状を整理してみたい。

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