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1980年のアメリカ留学記

旅立ちの時、失態と実態 第1話 1980年(昭和55年)7月2日、成田発、ホノルル経由、ロスアンジェルス行。忘れもしないアメリカ放浪が始まった記念すべき日となります。が、そもそも、端(はな)からなんか可笑しかったんです。18歳の少年が三つ揃えのスーツでロスの国際空港に降り立ったんですから。山梨の田舎もんで育ったから、まあ、しょうがないんですがね。親が着せたのだから、もう本当にしょうもないです。まあ、アメリカ様、様な頃だったわけです。 その頃は留学生も少なかったこともあります。高校卒業後、まもなくの同級生の飲み会、兼、進路報告会でのことです。皆どこそこの大学に行くだの、就職するだの語り合うんです。そこで、「アメリカに行くことになったよ」と報告しました。暫しの沈黙の後、大爆笑です。もう一度言いますね、大爆笑ですよ、こっちが引いちゃうくらい。誰も信用してなかったんです。たぶん。大学落ちて、戯(たわ)けた言い訳してると思っていたんじゃないかな。で、一緒に笑って誤魔化しました。なぜって、私も半信半疑でしたから。親父が言い出しっぺなんです。高校一年生の三者懇談会(担任、親、生徒)に初めて親父が現れたんです。後にも先にも、その一回こっきりですよ。それも、予告なしです。面談担当は小・中・高を通して、ずっとおかあちゃんでしたから。昭和っぽいでしょ。 担任:「進学されますか、それとも?」 私:「一応進学でお願いします」 唐突に、 親父:「この子はアメリカに留学させます」 担任:「そうですか。あはははは」 私:「え、アメリカ留学するの あはあはあはは」 担任も笑ってました。きっと疑問を抱いたのです。とにもかくにも、私は高校一年の面談で、一回こっきりだけ現れた親父さんから突如、アメリカ留学を宣告されました。そして、ロスの空港に3つ揃いのスーツでガキ顔の変なビジネスマン風が降り立つ事になったわけです。移民局の係官が一目見るなり、別室行きですよ。もちろん、彼が何を言ってるのか全くわからず、連行された感じです。持っているビザはB-2、観光用です。もう、めちゃくちゃな始まりです。本当は留学生なのに学生ビザ(F-1)ではなく、観光を偽り入国し、F-1に変えてもらおうってな勝手な具合です。でかい荷物を持って、一年のオープンチケットって、怪しすぎですよね。 しかし、ISISなんていなっかった時代です。米国東京領事館で学生ビザの発給が受けられなかった中国籍の友達が、カナダの米国領事館ですんなり同ビザをゲット出来ちゃいました。オンラインなんてなかったですから。結構緩かったんです。別室で3時間ほど待たされ、「サイトシーイング」だけを連呼する、完全にスーツ姿で浮いている少年に90日の観光許可がおりちゃいました。ある意味、平和だったのかもしれませんね。

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