有料記事

教員採用試験で「場面指導」を「バメンシドウ」と思うな!!

1 教員採用試験における「場面指導」の位置付け

冒頭から誠に恐縮ではございますが,上記見出しについてのコンテンツ(情報)は種々の教員採用試験対策の参考書やブログ及びサイト記事等を参考にされたら良いと思います(笑)。それらには,概観して,次の事柄が記述されているようです。

1 教員採用試験における「場面指導」の今日的意義 2 「場面指導」の類型区分((どのような種類の試験があるかということ。例えば,面接試験又は小論文試験等に組み込んで出題されるとか,生徒指導,教務事務又は健康教育など,教育活動の領域別とか。)) 3 「場面指導」で必要とされる能力 4 「場面指導」で合格点以上を取るためのストラテジーとしての練習方法  など

先述したように,本ブログで上述の事柄について触れない理由は,次のとおりです。

「場面指導」の今日的意義について(1) 例えば,公立の小・中学校において神経発達症(発達障害)の児童生徒が増加し,当該の児童生徒に対する教員の対応が困難を窮めている現況を取り上げ,「場面指導」の今日的意義を説く文章に出くわすことがあります。しかし,結論から述べてしまえば,神経発達症の児童生徒一人一人の特性を適切に理解し,「個((個々の教員のこと。))ー(校内外を含む)組織((教職員集団及び外部の関係諸機関のこと。))」の連携を綿密に図りながら指導に当たる本筋は,今も昔も変わらないわけで,「教育の不易流行」の〈不易〉((当塾では「不易/流行」と二元論に捉えません。〈不易〉が時間軸に沿いながら,その時々において表象・具現化した状態を〈流行〉として考える一元論的な立場にあります。))に当たるのです。別段,「今日的」な意義ではないのです。神経発達症の児童生徒の数的増加は教育活動に係る教職員の労力の問題を生起しているのであり,「指導」の一場面を切り取る「場面指導」とは次元を異にする教育事象です。

【参考】 「公立の小・中学校の通常の学級において、学習面又は行動面において著しい困難を示す児童生徒が6.5%程度の割合で在籍していることが文部科学省の調査において明らかになったところである。(同調査では、学習面(「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」「推論する」の少なくとも一つの領域)で著しい困難を示す児童生徒が4.5%程度の割合で在籍していることも明らかになった。)また、発達障害の可能性のある児童生徒の多くは、通常の学級に在籍していることから、通常の学級における教科指導において、発達障害の可能性のある児童生徒が学習上つまずくことなく、学習を理解できるよう、つまずくポイントを意識した授業づくりなど学習面における支援が求められている。」 発達障害の可能性のある児童生徒に対する教科指導法研究事業:文部科学省(初等中等教育局特別支援教育課),特別支援教育について 1.趣旨,登録;平成30年9月

「場面指導」の類型区分とストラテジーとしての練習方法について(2,4) 受験技術上,「場面指導」で合格点以上の得点を取るため,ストラテジーの一環として類別区分を設けているのかと邪推するのですが,以下に記述するように,「場面指導」は「バメンシドウ」ではなく,飽くまでも〈指導〉であり,その本筋(≒セオリー)はいずれの類別区分においても同様なのです。

「場面指導」で必要とされる能力について(3) 「場面指導」で必要とされる能力,それは「学校現場における一つ一つの指導場面」に必要とされる能力のことであり,時折,それらの能力を誠に精緻に描出する文章に邂逅しますが,管見による限り,どのようにしてそれらの能力を身に付けるのかといった視点で書かれている文章に出会わないのも事実です。

要するに,「場面指導」を「バメンシドウ」としてしか考えていないから,このようなことが生起するのだと思います。

2 「場面指導」が「バメンシドウ」でない理由

そこで,「場面指導」が「バメンシドウ」でない理由を申し上げるため,以下に「学校現場における一つ一つの指導場面」に必要とされる考え方や能力等を簡単に述べることにいたします。そして,それを以て,教員採用試験の「場面指導」に関する概論的な対策とさせていただくことにします。

因みに,なぜ「簡単に述べる」のかという点について付言しておきます。それは, 「学校現場における一つ一つの指導場面」に必要とされる考え方や能力(また,技術)等は,「自己」や「自然」,「神仏」等を含む「他者」との繰り返される〈対話〉により,〈自己の内なる《自己(他者)》〉から炙り出されてくるものであって,その《オリジナリティー》を身を以て習得しないと,身にならないものだからです。

〈対話〉は「自己」を「了解・到達不能のありのままの《自己(他者)》」に近接させ,〈自己の内なるボイス〉((「当塾への入塾をお考えの皆様に 先輩受講生からのアドバイス」(Instagram(by tanjito.masanori),2019.8.28)のコメントを参照のこと。))と出逢う《旅》に誘います。((オンライン面接試験対策講座「よくあるご質問」の「Ⅰ 「プロローグ」に関するFAQ Q8」及び「Ⅱ 「解説」に関するFAQ 1 「面接についての考え方」について Q9」を参照のこと。))したがって,〈対話〉は個別(=例えば,「受講者様個々―当塾スタッフ」間)に営まれます。ですから,決して普遍化・権威化して「学校現場における一つ一つの指導場面」に必要とされる考え方や能力(また,技術)等を語ることはできないのです。ー繰り返しますが,「学校現場における一つ一つの指導場面」に共通する本筋(≒セオリー)はあります。―

「学校現場における一つ一つの指導場面(=「場面指導」)」に必要とされる指導の態様は,本来,個人的な特徴(個人差)があるものです。本筋(≒セオリー)さえ踏まえていれば,山の登り方はいくらあっても良いのです。教職員一人一人が多様な山の登り方をしながら,目指すは頂上の一点。その頂上には,抽象的な言い回しですが,〈「児童生徒を良くしたい。」と切に願う熱き思いと一人一人の児童生徒の成長〉があるのです。また,そうした教職員の多様な山の登り方を以て,〈組織性・協働性(組織的な指導)〉と言うのです。

ですから,本来,一律な対策(練習)で「場面指導」を乗り切れるものではないのです。「場面指導」は 「学校現場における一つ一つの指導場面 」をテクストとして切り取った一つのピースなのですから。つまり,「場面指導」で採り上げられる(一つの)素材(出題)に対する強み/弱みは個によって異なり,素材(出題)によって個の強み/弱みも異なってくるものです。それでいながら,どのケースであっても本筋(≒セオリー)を外してはならない。だから,敢えて述べれば,そこに教員採用試験における「場面指導」の〈意義〉があると考えられるのです。

もう少し分かりやすい例を挙げてみましょう。

児童生徒の生徒指導上の問題行動に対して,強面のA先生は大きな声で,(当該児童生徒を決して傷付けることのない)激烈な言葉を以て,B先生は物腰柔らかにおっとりした言葉遣いで,C先生はネチネチと論理的に指導します。しかし,このように指導の態様は異なっても,三先生はそれぞれ「毅然とした態度で粘り強く丁寧な指導を行う」本筋(≒セオリーの一つ)は外していないのです。そこには「当該児童生徒を良くしたい。」との熱き思いがあります。

前述したことは,こういうことです。この場合,例えば,B先生に常にA先生のように児童生徒を指導してくださいとお願いして,事が成就すると思われますか? 

教員採用試験の「場面指導」対策として,仮に画一化した,一問一答(正解有り)型の「練習」ばかりを行っていたとしたら,あなたはA先生のように児童生徒を指導するよう求められたB先生になってしまっているのではないですか? しかも,その本筋(≒セオリー)を知らないとしたら…。教員採用試験の受験主体である皆様の中に,「場面指導」に不安や苦手意識等を持っている方がいらっしゃるとしたならば,恐らく,原因の一つはここにあるのです。

ただし,次のような反論が聞こえて来ます。

「「場面指導」では本筋(≒セオリー)が分かっていれば,それで良いのではないのか!?」

そうであるならば,文字化できる解があるわけですから,筆記試験として虫食い問題にするか,それをそのまま記述させると良いのではないですか? それをしないのはなぜなのでしょうか? しかも,これまた管見による限り,その本筋(≒セオリー)について説明した文章に遭遇したことはございませんが…。抑々,本筋(≒セオリー)が頭に入っているからと言って,千差万別で緊急対応を数多く含む教育事象に,誰もがそのように簡単に対応できるものでないことは,筆者の29年間にも及ぶ長い教職人生が証明するところですよ。それでいて,/だからこそ,「場面指導」は教員採用試験の試験項目なのです。

つまり,「場面指導」は 「学校現場における一つ一つの指導場面 」 のテクストとして切り取られた一つのピースであり,飽くまでも 「学校現場における一つ一つの指導場面 」 での〈指導〉のフレーム中にあって,「バメンシドウ」ではないのです。万一,「場面指導」を「バメンシドウ」と捉え,「教員採用試験」の有する言説の権威性下で,その呪縛から逃れられず,自己を解放できていなかったとしたならば,自ずから教員としての〈資質〉を問わなければなりません。厳しい言い方ですが。ただし,受験主体が将来出会うであろう,また現在眼前にいる児童生徒のことを考えれば,厳しい言い方になるのも当然のことです。

3 まとめ

定式化した戦略的な思考で突っ走るな!! 「まずは方法ありき」と言った考え方を捨てろ!!

「学校現場における一つ一つの指導場面」において,固定概念の呪縛で成り立つストラテジーや「まずは方法ありき」といった思考だけに突っ走って陥穽に嵌った教員はわんさかいるのです。特に若い教員がそうです。そうしたストラテジーや「まずは方法ありき」といった思考が成立するためには(特に若い教員の中で欠ける者が多い)〈人間関係形成能力〉の台座が必要です。 教育活動のあらゆる領域で〈生きて働く知識〉も必要です。〈コンプライアンス〉も必要です。〈経験〉も必要です。勿論,教科指導力,生徒指導力等々,〈教員〉として身に付けておかなければならない一通りの〈指導力〉も必要です。〈組織性・協働性〉も必要です。〈ファシリテーションを兼ね備えた創造性〉も必要です。〈思いやり(恕)〉も必要です。必要なものは枚挙に遑がありません。 「学校現場における一つ一つの指導場面」では,一人の教員の〈総合力(=総合的な人間力)〉が試されていると言って過言ではないのです。

その上で,〈 総合力(=総合的な人間力) 〉の中で最も必要であり,最も大切なものは何かと言えば,それは, 「まずは児童生徒ありき」 児童生徒に向けた熱き〈教育愛〉なのです。

「教育愛 きょういくあい educational love プラトンによれば,教師が生徒に対していだくべき愛情をさし,教師はこの愛に導かれて生徒をより高い真,善,美の世界に進めるべく努力する。このたゆまぬ努力こそが教育にほかならないとされる。つまり,人間の教育的行為の本質であり,原動力であって,教員養成の基本はこの教育愛の自覚と深化にあるとされるゆえんである。」 コトバンク:教育愛(読み)きょういくあい(英語表記)educational love  ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説,出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,下線は筆者による。以下同様。

「教育愛 きょういくあい Erzieherische Liebe ドイツ語 被教育者の成長可能性に向けられた教育者の人格的徳性の一つである。日常の教育活動において教育者は、被教育者の背信行為に幾度となく直面し、そのつど挫折(ざせつ)感にとらわれる。しかし教育活動はその本質において、そうした教育者の教育的・人格的挫折を契機として成立する。したがって教育者は、被教育者の背信行為をもって、被教育者に対する信頼を失ってはならない。むしろ自己の挫折の集積こそ教育活動をより実りあるものとする契機と受け止める必要がある。被教育者の成長可能性に自己を賭(か)けるという冒険的行為の繰り返しのなかに、教育愛とよばれる教育者の徳性が形成される。教育愛は、自己と他者に対する不動の信頼の念と挫折の可能性を予想して成立するものである。[田代尚弘] 『新堀通也著『教育愛の問題』(1971・福村出版)』」 コトバンク:教育愛(読み)きょういくあい(英語表記)educational love 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説,出典 小学館

これで,「場面指導」が ストラテジーや「まずは方法ありき」といった思考だけの「バメンシドウ」では乗り切れない理由がお解りになったことと拝察します。さらに,もう一つの左證を挙例しておきます。

表 平成32年度 広島県・広島市公立学校教員採用候補者選考試験の試験項目と主な評価項目例 試験項目=「  」/主な評価項目=(   ) 「グループワーク」:(コミュニケーション能力がある/協調性がある/柔軟性がある) 「模擬授業」:(児童生徒の考えを引き出す発問ができるなど十分な指導力を持っている/児童生徒を引き付ける表情,動作ができるなど表現力が豊かである /児童生徒に共感的,受容的な対応ができる) 「個人面接」:(児童生徒に対する愛情,教育に対する熱意,意欲等を持っている/自ら進んで事にあたり,より効果的に行おうとする意思がある/組織の中で自己の役割を認識し,良好な人間関係を築くことができる)

上表は「平成32年度 広島県・広島市公立学校教員採用候補者選考試験実施要項」(広島県教育委員会・広島市教育委員会)の「5 選考試験の内容等 (1)選考試験の内容  一般選考・障害のある者を対象とした特別選考・グローバル人材を対象とした特別選考【外国人留学生等】」に基づき,筆者が作表したものです。一県のみのデータ(例)ではありますが,寡少のデータながら各「試験項目」に様々な「主な評価項目」が設定されていることが分かります。

上表をご覧になって,ストラテジーや「まずは方法ありき」といった思考だけで「場面指導」をクリアできると思われますか? 万が一,「上表には「場面指導」という「試験項目」がないではないか!?」とおっしゃる方がいらっしゃいましたら,種々の教員採用試験対策の参考書やブログ及びサイト記事等をご覧になってください。「場面指導」はいろいろな「試験項目」の一部に組み込まれていると書いてありますから。

ある一定の〈総合力(=総合的な人間力)〉,就中熱き〈教育愛〉に闕如している教職員は往々にしてトラブルの元になります。児童生徒も,保護者も,当の教職員も,時には地域社会も,そして学校も〈辛いこと〉になるのです。教育行政と学校で管理職を経験した者(筆者)の痛切な思いです。このようなことからも,教員採用試験に「場面指導」が課される理由が髣髴としてきませんか? 

これ以降,筆者の全くの主観で〈語ります〉。

得てして, ストラテジーや「まずは方法ありき」といった思考性に富む教職員は,熱き〈教育愛〉を持って教育活動に勤しむ教職員を冷めた眼差しで見つめ,蔑む傾向にあります。この辺りの諸事情にここでは深入りしませんが,児童生徒が立派な大人になって,嘗ての恩師とプライベートで杯を交わす際,その場に同席しているのは往々にして熱き〈教育愛〉を持って教育活動に勤しんだ教職員であるようです。

まあ,当たり前のことですけどね。

「場面指導」を「バメンシドウ」と思うな!! 「場面指導」の向こう側には「乳幼児・児童・生徒」がいるのだ。

レビュー

まだレビューがありません

その他(ブログ・HP制作)

Amebaでスキルを売り買い

App StoreでREQUをダウンロード
Google Play StoreでREQUをダウンロード