大祓詞の秘密に関するマニアックな話
皆様、こんばんは。 初めに簡単にお知らせを申し上げます。現地を案内する寺社ツアーですが、8月に入ってから私の体調が思わしくないため、しばし控えております。 せめて家に居ながらできることを、との思いから文章だけは投稿を続けておりますので、もうしばしお時間をいただけますと幸いです。 さて、今回はいつになく、スピリチュアルな要素が強い記事になりますよ。 私が「神様のひとりごと」と呼んでいる、神社仏閣で受け取るチャネリングもどきについて、今回は伊勢神宮を舞台とした、以下のようなお話です。
目次 •大祓詞の秘密の話をする前に •大祓詞って何だろう? •門外不出の大祓詞の秘密 •知っていますか?大祓詞の原点 •神様が教える大祓詞の意味 •罪と穢れのもたらす禍の正体 •まほろばを生み出す大祓詞

大祓詞のマニアックな話をする前に
先日の伊勢神宮の125社の巡礼中も、色々な神様のひとりごとを聞いて来ました。その中に興味深い内容があったため、皆様に共有させていただきますよ。 テーマは、大祓詞(おおはらのことば)という祝詞の意味。 非常に重要なテーマなので、不安とプレッシャーを感じつつ書いています。 誰に対してもオープンにしてはダメ、といわれる内容に該当するため、一部だけ有料箇所を入れさせていただきましたが、祝詞に関する基本的な知識のことなどは、どなたにでも楽しんでいただけるよう公開しています。 現在、REQUさんの定める目安にそって運営しているものの、公開・非公開の割合や価格設定などご意見をいただければ検討するつもりでおります。何かあれば、レビューやメッセージ等でお声をかけくださいね。 なお、当記事の内容について、いつも通り審神者が付いておりません。その点はご承知おきくださいませ。
大祓詞って何だろう?
そもそも、大祓詞とは何でしょう? 神社好きの方には、6月末に各地で行われる「夏越の祓」などの神事の時に、神主さんが奏上する祝詞として、おなじみかもしれません。 古くは、宮中での祓い清めの儀式として、人を集めて大祓詞を読み聞かせることも行われていたといいます。 土地だけでなく、人間に対しても効果を発揮する、万能なお清めの作法と考えられていたのですね。 ところで、大祓詞が実は古事記よりも古くから存在していたかもしれないということは、あまり知られていないかもしれません。 現在、研究者の先生たちの間でほぼ一致しているのは、天武天皇の時代頃(7世紀)から、今のような大祓詞が使われ出したのではないか、ということです。 天武天皇の時代は、ちょうど古事記がまとめられることになったり、式年遷宮など今に残る伊勢神宮の制度の基礎ができたり、神道の大改革が行われた時代でもありました。 これまでも当ブログでは、様々な角度から伊勢神宮の正体に迫って来ましたが、今日はその中でも大祓詞について見て参りますよ。
門外不出の大祓詞の秘密
大祓詞には、いくつかの謎が残されています。 特に、いつの時代にも議論の的となって来たのは、天つ祝詞の太祝詞事(あまつのりとのふとのりとごと)ではないでしょうか。 現在の神社で使用される大祓詞の場合、途中で一拍、暗唱をお休みするところがありますよね。 その直前に、「天つ祝詞の太祝詞事を宣れ」との言葉があって、これ(天つ祝詞の太祝詞事)を奏上すれば、神様が人間の声に耳を傾けてくださる、というのです。 だから、この一拍のお休みの部分では、ふつうの人が知らない秘伝の祝詞が読み上げられるのだ、とする考えがあるんですね。 しかしながら、天つ祝詞の太祝詞事が何であったのかについては、専門家の間でも大いに意見が分かれているところで、残念ながら明確な答えはないようです。 ヒフミ祝詞、トホカミエミタメなどがあてがわれることが多いようですが、何も入れる必要はないとする考えもあって、いまだ結論は出ておりません。
知っていますか?大祓詞の原点
これまでの研究からは、大祓詞は、異なる5つの文章をつなぎ合わせたのではないか、という説が有力になって来ているそうです。 最初から存在していたのが、今でも祓詞の本文になっている、「高天原に神留ます~」の部分。後半部分に登場する、「高山の末短山の末より佐久那太理に~」の部分は、最後に付けたされたと考えられているそうです。 というのも、天皇の呼び方、天津罪・国津罪の内容、お清めシステムの考え方などが、よく見るとばらばらになっているのです。 このため別の時期、あるいは別の祝詞から、部分ずつ抜き出した言葉を繋いだのではないか、と考えられるそうなんですね。 今回、私がブログに取り上げるのは、この中でも一番古いと考えられている、祓詞の本体にあたる箇所です。 学問的には、この部分については古事記より前から存在していた祝詞が使用されている可能性が高いそうです。 使い方についても、平安時代の頃からは人間に向けて奏上するようになったといいますが、それより前の時代には、神様に向かって奏上するためのものであったろう、と予想されているとのことでした。