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認知症-ラップのついたお皿が○○○に入ってる!

電子レンジは何回か買い替えた。最初は父がまだ生きていた頃に買ってくれたものだ。 オーブンなしの電子レンジ機能だけだったが私も母も温めて食べられるのは嬉しかった。母が電子レンジで茶碗蒸しを作ってくれたのも思い出す。そのうち社会人となった私がオーブンレンジを新しく買った。それでお菓子を作りたかったのだ。だが、オーブンレンジと他の電化製品を一緒に使ったことでブレーカーが落ちた。その時は兄にこっぴどく叱られた。挙げ句の果てが「もうオーブンレンジを使うな!」と怒られて私も母もうなだれながら諦めた。 電化製品は使わなければ壊れてしまうものだと知らなかったし、歯向かう勇気もなかったが、やがて私は世間の荒波にもまれて負けず嫌いな性格になっており、怖かった兄に刃向かう力がついていた。 しかし時すでに遅かった。何年も何年も使わずにいたからオーブンレンジは壊れていたのだ。兄に「お兄ちゃんが使うな!と言うからお母さんも私も使わずにいたんだよ!だから壊れたんだよ!(捨て台詞)」 ところで、母は幼い頃からまだ幼児だった弟(私の叔父)の面倒をみて、母たち兄弟姉妹の母親の料理の手伝いはもっぱら母の姉が担当していた。だから結婚しても料理が下手なのは仕方ないのだと今は思う。 そんな母親は、なぜか手先が器用で私が幼い頃にはセーターやカーディガンを編んでくれたものだ。父が嫌がった母の内職は靴下に刺繍をするものだった。母が刺繍する靴下は見事な出来栄えだった。 私がまだ小学生の頃、父が編み機を母に買ってあげた。私や兄のセーターが小さくなるとほどいて編み直してくれたものだ。 私自体はだらしのない人間なので部屋も片付けなければお皿もなかなか洗わないダメ人間だったが、母はせわしなく動き回って家事をしていた。だからいつも家の中はきれいだった。私はそんなことを考えずに綺麗な状態が当たり前だと思っていたものだ。 とにかく母はよく働いた。あまりに家の中でよく働くので私も兄も何もしないでよかったぐらいだ。 私は無理に結婚したいとも思わなかったので50歳過ぎてものうのうと遊び歩いていたか絵を描いたり好きな遊助のLiveを見に行ったりしていた。 さすがに自分の部屋はきれいにしていたが、思えば在宅ワークを始めた40歳前後から生活のリズムが狂い出した。夜中に仕事して昼間眠る生活で、本当に部屋が乱雑になりだした。主に仕事の資料やいらない原稿だらけであった。シュレッダーにかけるのが面倒になってきたのだ。 50歳と言えば母は80歳である。80歳になっても母は家事掃除食事の支度によく働いていたのだ。今これをiPhoneで打ち込みながら母に感服している。 40代の頃にパート先で毎日重い荷物を持ったことが原因で腰を悪くした母。それが原因で腰を曲げると痛くなり、かえって姿勢が正しくならざるを得なくなった。 ちょっと今の私に似ているが、私の場合は母とは違うから呆れてしまう。 だから母は見かけも若かったが姿勢が良かったので80を過ぎてるようにはとても見えなかった。おばあちゃんに見え出したのは認知症発症してからだ。 そんな母に私はかなり甘えすぎていた。母が認知症になった原因は私だと思っている。80を越えた母は、たぶん夕餉の支度をするのがいやになっていた。当たり前である。 毎日毎日お惣菜が続いた。そんなある日、私は体調が悪いわけではなかったが、毎日の食生活でなんだか身体が重く感じてきた。体重の話ではない。胃がもたれているわけでもない。けれども手作りが食べたくなっていた。仕方なしではあったが、少しずつ母の代わりをするようになったのはこの頃からだ。 そんなある朝、台所から変な臭いが漂ってきた。 (何を焼いてるんだろう…。)

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