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スーパーの社員も楽じゃない!長時間労働と戦った6年間

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※ この記事に出てくる人名はすべて仮名です。 この記事は、私が2008年から2014年まで勤めていたスーパーでの6年間の記録です。 「スーパーの社員も楽じゃない!長時間労働と戦った6年間」 スーパーに入社 2008年4月1日 私は大学を卒業し、スーパーマーケットチェーン「ハナマル(仮名)」に入社した。ハナマルは全国に200店舗以上ある大手のスーパーだ。大手なら倒産する心配が少なく労働環境も整っていると思い、入社を決めた。 4月1日に池袋にある本社で入社式があり、4月2日からは千葉県長生郡で2泊3日の合宿研修があった。新入社員は大卒が約50名、高卒が約100名で、男女の割合はおよそ半々だった。 合宿研修を終えると、新入社員はそれぞれの店舗に配属され、私は家から1時間ほどの場所にある北柏店に配属された。北柏店はハナマルの中でも5本の指に入るほど売り上げの高い店であり、私は同期で高卒の浅野君と共に青果部門に配属された。学生時代はスーパーの青果部門でアルバイトをしていたため、希望通りの部門に配属されたことはラッキーだと思った。青果部門の社員は6名で、仲間主任の指揮の下、売り場づくりや在庫の整理などの業務に勤めた。 浅野君に対してはこちらから距離を縮めようと何度も話しかけてみたものの、返事は全て無愛想な態度だった。きっと、浅野君は私と仲良くなる気は無いのだろうと思い、途中から仲良くなることを諦めた。 新入社員は着任して2か月間は試用期間のため、残業させてはいけないという規定があった。しかし試用期間を終えた6月からは、朝7時から夜10時までサービス残業をする日々が続いた。多少の残業は理解しているつもりだったが、さすがに現状の労働時間は許容範囲を超えていた。 さらに、北柏店では毎月第3日曜日に大朝市があった。大朝市とは、朝9時から昼12時まで駐車場で行われる特売であり、この3時間で売り上げが100万円を超えるほどの大イベントだ。大朝市の前日はいつも夜11時までその準備に追われ、当日は十分な睡眠も与えられないまま朝6時から働かされた。 バイクで通勤中、疲れと睡眠不足で意識が朦朧となり「このまま反対車線に突っ込めば、仕事を休んでも許されるかな」という心の声が聞こえた。ハナマルは「しあわせなせいかつ」を企業のキャッチコピーとしていたが、従業員である私にとっては「しあわせなせいかつ」どころか、「死と隣り合わせなせいかつ」だった。長年続いていた家族と食卓を囲む生活も、毎晩11時に帰宅し、残った夕飯を温め直して一人で食べるという日々に変わった。 毎日、過酷な長時間労働が続き、積み重なるストレスに疲弊していったが、私は弱音を吐かずに仕事を続けた。その理由は2つある。 1つ目は、この職場が私にとって初めて勤める会社だったため、この職場が辛いからといって逃げ出してしまえば、きっとどこも務まらないだろうと思っていたからだ。 そしてもう1つの理由は、同期である浅野君が黙々と働いていたので、年上の私が弱音を吐くわけにはいかないというプライドがあったからだ。 北柏店に配属されてから5か月が経ち、仲間主任に異動が発令された。仲間主任は最終出勤日に、私と浅野君にアドバイスをした。 「この仕事は上を目指さないと面白くない。だからもっと上を目指して頑張れ」 「よく『この仕事は自分に向いているか』と考える人がいるけど、大事なことは仕事が自分に向いているかではなく『自分が仕事に向いていくか』だ」 これらのアドバイスを信じ、仕事を楽しむために上を目指し、さらに自分が仕事に向いていくように頑張ろうと思った。 新しい主任は谷川さんという人で、主任が交代してからも相変わらず長時間労働は続いた。副店長からは 「働いている時間が長すぎる。本社から指導が入ってるから、もっと早く帰れ」 という理不尽な注意をたびたび受けた。 それを主任に相談すると、 「タイムカードの打刻実績で長時間労働が本社にばれてしまう。勤務実績は俺が記録しておくから、お前はタイムカードを打刻するな」 と言われ、余計なトラブルを避けるため、この指示に従った。 野々下(ののした)店の応援 2008年11月 ハナマル野々下店の改装オープンがあり、手伝いに行くことになった。応援者は朝8時から夕方5時までの勤務で残業は無いという話を事前に聞いていたので、この日はいつもより気軽な気持ちで臨んだ。 当日、野々下店の青果部門では渡辺SVが指揮を執っていた。SVとはスーパーバイザーの略で、複数の店舗を巡回し、管理・指導する役職だ。 開店時間からたくさんのお客さんで店内はごった返し、忙しく業務に追われた。 そして夕方の5時を過ぎると、他部門の応援者は次々と業務を終えていった。しかし私だけは定時になっても終業の指示がなく、新入社員だった私はSVに気を遣い 「帰ってもいいですか?」 の一言が言えなかった。 次々と渡辺SVから指示される業務を黙々と続け、ようやく 「もう帰っていい」 と言われた頃には、夜の10時を過ぎていた。 深夜0時過ぎに帰宅し、翌朝も7時から北柏店で仕事があった私にとって、こんなに遅くまで働かされたことにとても悔しい思いをした。 翌日、私は人事部の阿部さんに相談の電話を入れ、北柏店での残業が長い事と、野々下店で遅くまで残業させられたことを伝えた。阿部さんは、私が入社試験を受けた時の面接官だった女性だ。 阿部さんは 「それはひどい。今度また同じようなことがあったら、私が注意するからまた報告して」 と言った。 やはり私の考えは間違っておらず、間違っているのは残業させる上司たちだと思った。 それから数日して、阿部さんから私に電話があった。阿部さんは 「市川くんの異動が決まりました。次は南流山店の副主任になります。副主任になれば、早く仕事を終わらせられるかは自分の力量次第だから頑張って」 と言った。 南流山店 2008年11月 中型店である南流山店の副主任に着任した。発注・棚卸し・シフト作成・チラシ原稿の作成など、主任になるために必要な業務を一通り覚えることができた。青果部門の社員は主任と私の2人だけであるため、主任が休みの日は、限られた時間内に効率よく仕事を終わらせることに努めた。 南流山店に着任してからは、労働組合のスタッフも兼任した。定期的に会議があり、専ら議題に挙がる問題は社員の長時間労働や休日出勤だ。これらの会議を通じて 「やはり長時間労働はいけないことだ。社員が一丸となって無くしていかなければいけない」 と思うになった。 「長時間労働は耐えなければいけないもの」 そう思っていた新入社員の頃に比べると、大きな気持ちの変化が生じた。 そして南流山店に着任してから約2年後の2010年10月に異動が発令され、新店である豊春店の副主任になった。 豊春店 2010年10月 豊春店の主任は山岡主任という人で、山岡主任と共に、新店のオープンへ向けて、新人の研修や売り場作りなどの業務を努めた。 しかしオープンしてわずか約1か月後に、私に異動が発令された。異動の理由は、売り上げが想定よりも少なく、人数を調整するためだった。上司からは 「異動先の亀有は大型店だから、この異動は出世したと考えていい。おめでとう。亀有を経験すれば次の異動は主任になれる。」 と言われ、この異動を前向きに捉える事にした。 亀有店 2011年2月 亀有店に着任した。亀有店も北柏店と同規模の面積を誇る大型店だ。販売計画を立て、売り場を作り、予算を達成するという一連の仕事に対して、やりがいや楽しさを感じていった。 毎年新入社員が加入し、その教育にも積極的に努めた。新入社員には北柏店のような辛い思いをさせてはいけないと気を配り、その結果、亀有店の新入社員は誰一人辞めることはなかった。 連日の業務を通して、チームワークや育て方などのスキルが身に付き、充実した日々を過ごすことができた。 私が新入社員の頃に仲間主任から言われた 「この仕事は上を目指さないと面白くない」 「大事なことは『自分が仕事に向いていくか』だ」 という言葉を実感していった。 そんな日々の業務の中で「20代のうちに主任になる」という目標ができた。主任になれば今よりも責任が増える分、もっと仕事を楽しんで取り組めるだろうと思った。 亀有店での経験が2年半を過ぎた頃から 「そろそろ主任への異動が発令されるかもしれない」 と、かすかな期待を抱いていた。 そして、2013年9月、我孫子店への異動が発令された。店長から異動を聞かされた時、思わず 「私は主任になるんですか?」 と期待を込めて聞いたが、副主任のままの異動だった。残念に思ったが、異動はいろいろな都合があるので仕方ないと思い、気を取り直して我孫子店からまた主任を目指そうと思った。 しかし我孫子店の主任が、かつてSVだった渡辺さんであると聞いたとき、うまくやっていけるか不安に思った。その最も大きな理由は、野々下店での一件があったからだ。 我孫子(あびこ)店 2013年9月 我孫子店に着任した。着任当日、私と主任は今後のシフトについて打ち合わせをした。 渡辺主任から 「人手不足だから毎週火曜日は休日出勤してもらう事になっている」 と言われた。 確認のため 「その休日出勤に給料は出ますか」 と聞くと 「出るわけないだろ。前任の浅野は容認していたから、お前もそうしてもらわないと困る」 と言われた。 休みを減らされ、私は焦った。なぜなら、1か月後に会社の昇格試験を控えており、そのための勉強時間が必要だったからだ。主任になるためには試験に受かることも大切だと考えており、昇格試験は何としても落としたくないと考えていた。 もう新入社員の頃とは違うので、これから主任と二人三脚で勤めていくためにも、しっかりと自己主張しなければいけないと思った。 主任に 「休日出勤、ルール違反なので辞めませんか?」 と言った。すると渡辺主任は突き放すように言った。 「人手不足なんだから仕方ないだろ。他の主任だって毎月3日間くらいしか休んでない。俺だって休みに出てるんだから諦めろ。自分でこの業界を選んだんだろ?ここが嫌なら工場とか、定時に帰れる仕事に転職しろ」 主任の言葉には優しさが感じられなかった。私は日ごろから「残業を減らそう」という本社の方針に対し「売り上げのために残業をするべき」という店舗スタッフとの温度差を感じていた。主任と2人で話しても解決しなかったので、本社の人事部に相談のメールを送った。 「主任に休日出勤を指示されています。人手不足だから休日出勤もやむを得ないというところは多少の譲歩ができますが、毎週タダ働きが横行している職場に不満を感じています」 数日後、わざわざ本社から人事部の寺坂さんという人が我孫子店まで来てくれた。寺坂さん・店長・主任・私の4人で話し合った結果 「今回の休日出勤に関しては会社が買い取り、今後、主任は休日出勤をさせない」 という事で決着がついた。 私は店長や人事部の方々に手間取らせてしまった事を反省した。しかし、働くための環境や試験勉強をするための環境は改善してもらったので、今回の反省を取り返すためにも、試験に受かり、仕事も精一杯努めようと思った。(結果的に試験には合格した) それから1週間が経過したある日、我孫子店に担当のSVが巡回に来て、意外なことを言った。 「昨日、樋口部長から注意を受けた。その内容は、我孫子店の市川という男は、あいさつもできねえし仕事もできねえ。それに主任に不満ばかり言う。あんな奴では副主任なんて務まらないだろう。どこかに異動させた方がいい」 樋口部長とは、我孫子店のある千葉県エリアを管轄している営業部の部長である。私はとても驚いた。なぜなら、その注意は偏見に満ちた内容だったからだ。どうやら、渡辺主任が樋口部長に対して、私に対する愚痴をこぼしていたようだ。私は渡辺主任や樋口部長から嫌われている事を実感した。 それから1週間後、我孫子店に着任してからわずか2か月で、私に人事異動が発令された。この異動は樋口部長が決定したことであると店長から聞かされた。それはまるで 「サービス残業や休日出勤を本社に告発するような者は、副主任でさえも任せることはできない」 と言われているようだった。 最後の店 2013年11月23日 2度と来たくないと思っていた北柏店に5年ぶりに着任した。北柏店の主任は山岡主任で、副主任は浅野君だった。着任当日、シフト上では8時から始業になっていたが、初日なので気を遣い、7時半に店に着いた。すぐに売り場にいる主任を見つけ 「おはようございます」 とあいさつした。すると主任から 「遅いよバカやろう!いま何時だと思ってんだ?みんなはもう7時前には来てんだよ!」 と怒鳴られ、戸惑った。北柏店では、誰もシフト時間を守らず早く始業していたようだ。 朝10時ごろに売場が一段落し、主任と私は面談室で話をした。主任は 「今回の異動の理由を聞かされてないんだけど、何か心当たりはある?何かトラブルでも起こさなければ2か月で異動させられることは無い。例えば女子社員にセクハラしたとか」 そのような理由で異動させられたと思われては困るので、我孫子店での一件を話した。 「長時間労働や休日出勤の不満を本社に相談しました。その結果、異動させられました。主任を目指してたのに」 と言うと、主任は 「それは余計な事を言ったね。状況を考えないとだめだよ。この店でも残業や休日出勤はたくさんあるから、市川君もそれらを頑張ってくれれば評価するし、主任へ推薦するよ。浅野君は自主的に夜遅くまで残ったり休日にも出勤したりして、一生懸命働いてくれるから助かっている。浅野君ならすぐにでも主任へ推薦する」 と言った。さらに主任は続けた。 「市川君のような若者に頑張ってもらわなければいけない。今年の新入社員はもう辞めてしまったからね。理由はわからないけど、2人とも試用期間が終わったころに無断で仕事に来なくなってしまった」 私はこの日から、5名いる青果部門の社員の中で最も下の立場になってしまい、新入社員の頃と同じような業務に勤めることになった。この異動は事実上の降格処分であり、この時点で28歳の私は「30歳までに主任になる」という目標を失った。 北柏に着任してから数日たったある日、たまたま食堂で同席したベーカリー部門の新入社員に質問をした。 「青果の新入社員は、2人とも辞めてしまったらしいね。どうして辞めてしまったんだろう?」 すると、答えは予想通りだった。 長時間労働の日々 北柏に着任してから毎日、朝7時から夜10時までダラダラとした長時間労働の日々が続いた。 主任と浅野はシフトに関係なく、毎日出勤していた。非喫煙者である私にとって、無駄に長いタバコ休憩(1日約2時間)にもイライラした。主任や浅野君たちは他愛のない話で盛り上がっているが、私はこの会話に加わることも愛想笑いをすることも無く、ただ黙ってやり過ごした。 北柏店では、私の立場が浅野より下になったことで、浅野の態度は一変していた。私の事を「市川」と呼び捨てで呼び、タメぐちで指示を出してきた。さらに「仕事遅せぇよ!」「やる気あんのかよ?」「完璧に終わらせておけよ」などと、高圧的な態度でプレッシャーを与えてくるようになった。それでも無用なトラブルを避けるため、黙って従った。私は浅野より4歳も年上で、会社での資格も上なのに、なぜこのような扱いを受けなければいけないのだろうと思った。 年末の話 2013年12月 今年も残すところあと2週間を切ったある日。私はいつものように7時前に出勤すると、主任はあきれた表情で私に言った。 「年末なんだからさ、わかるだろ?もう他のみんなは6時に来てるのに」 私が 「もっと早く来いと言いたいんですか?」 と聞くと、主任は 「それは自分で考えろ。俺は早く来いとは言わない」 と言った。私は 「何時に来れば良いんですか?」 と聞くと、主任は 「その質問は低レベルだ。主任になりたいんだろ?だったら、俺やSVに評価してもらうために早く来て努力をアピールするべきだ」 と言った。水掛け論が続いたが、主任と分かり合う事は無理だと思い 「これから気をつけます」 とだけ言い、業務に就いた。 明確な時間は示さず、出世を引き合いに出して長時間労働を強制しようとする。そんな主任に対し、人としての汚さを感じた。そのような者のために心身を消耗していくことがしだいに馬鹿らしく思えていった。 12月の大朝市は、前日に夜11時まで残業させられ、翌日は朝5時から夜10時まで働かされた。計16時間の労働時間は入社以来最長だった。5時に始業した私を見て、主任は 「今日は早く来て偉いな」 と褒めた。 (お前が強要したんだろ) 目標もやりがいも無く、適切な評価もされない。そんな職場がこんなにも辛いとは思わなかった。

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