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あるひきこもりライターの独白①ひきこもる生き方を選んだ原因ときっかけは別のもの

2008年か2009年ごろだったと思うが、インターネット上で「引きこもりになった原因ときっかけは別ものである場合も多いのではないか?」という、引きこもり当事者の人が書かれた文章を目にした。 時間が経ったために、その記事はもはや見つけられないのだけれど、私には大いになっとくできる文章だった。

原因ときっかけの違い

上記の文章と私の主張にはずれがあるかもしれないが、私なりの考えを書く。 「ひきこもりたい」という思いを、実行に移してしまうきっかけとしては、身体的な病気、仕事や介護による疲れ、人からの悪口、叱責、罵倒などいろいろなことが考えられる。 ただ、同じ出来事に遭遇しても、ひきこもらない人もいる。病気を治療したら、改めて社会参加ができる人、疲れを抱えながらもひきこもらない生き方を模索できる人、悪口や叱責に発奮してむしろやる気を出すタイプの人もいるのだ。 このように考えると、私の場合 「病気、介護、その他の目につきやすいきっかけはあったが、ひきこもる生き方に傾いていった原因は、私の性格や考え方のクセにある」 というのが答えだろう。

「変化したくない、同じ日々が続いて欲しい」という頑固さ

私はピアノと書道を幼少時から高校3年生まで続けていた。他の多くの人が、学業や部活の多忙さを理由に辞めていくなかでも、長々と続けていたのだ。 ピアノや書道、教室の雰囲気が好き、といった部分もあるものの、どちらかというと「辞める決断ができない」「変化したくない」という頑固さが、習い事を続けられたことの理由でもあった。 変化を嫌い、同じような日々をコツコツと続けていくことを好む私には、ひきこもる生活がぴったりと合ってしまったのは本当だ。 ライターとしてさまざまな情報に触れ、文章を書くということは、1つ1つの仕事の中身が違い、クリエイティブな作業に見えるかもしれないが、 「情報収集をして文章を書く」 という作業の大枠は同じ。その生活を変えたくないと思えば、できてしまう現代に生きていることで、自分の頑固さを許してしまったのだ。

仕事を持つひきこもりはありか? なしか?

厚生労働省は「ひきこもり」を次のように定義している。 ”「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」を「ひきこもり」”

そうすると、ほとんど人と交流しなく、自宅からもほとんど出ないが、仕事はしている場合は「ひきこもりではない」と判断されることになる。 もちろん、どこかで線引きをして、優先順位の高い状況にいる人ほど、手厚い支援をしなければならないから、この定義そのものに、私はどうこう言うつもりはない。 ただ、個人レベルにおいて「仕事はしているが」、家族以外の誰かと交流を持たないし、家を出ないという生活が「厚生労働省の定義にあてはまらないから、それでよい」と言い切れるものだろうか?

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